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宇宙人か、ロボットか、役者か、それとも


あれは確か、祖父が毎月買ってくれた小学館の『小学三年生』などのいわゆる学年誌といわれる本に載っていたのだと思うのだけど、今でも妙に覚えている印象的な漫画がひとつある。いや、覚えているといってもあらすじはほとんど記憶になく、主人公の少年が、身近な人たちが実は地球人ではなく宇宙人だったという真実に気付く、というその場面しか覚えていないのだけど、その漫画が当時の俺に大きな不安を与えたのだった。もしかすると俺のお父さんとお母さんも宇宙人かもしれない……、と考えてしまったのだ。

父親や母親が人間の皮のようなものを脱いで、中から典型的なグレイ型の宇宙人が出てくる場面を描写したその一コマはおどろおどろしいタッチと相まって今でも強く覚えている。
学年誌のような雑誌が、なぜあんなに子供の不安を煽るような作品を載せていたのか、少し不思議ではあるが、時代といえば時代なんだろう。果たして、あの漫画はどういう終わり方をしたんだったか……。主人公の少年も宇宙人だったというオチだったかな。夢オチだったかな。今となっては分からない。(国会図書館に行き、当時の俺と兄の年代の学年誌を片っ端から調べれば出てくるかもしれないが、そんな気力は今の俺にはナイ)

身近な人たちが瓜二つの偽物に入れ替わっている、と確信してしまう妄想が精神医学で“カプグラ症候群”と呼ばれることを知ったのは、だいぶ年を経てからではあるけれど、確信とまで行かないまでも、なんとなく周囲の人間が偽物に入れ替わっているかもしれないという不安を抱えるのは、当時のpipopan少年に限ったことではなくて、ある程度は普遍的なものだと思う。だからこそ、ジャック・フィニィの『盗まれた街』や筒井康隆の『緑魔の町』、それにP・K・ディックのいくつもの作品など、古今を問わずカプグラ症候群的な作品というのは多いんではないか。

ジョン・カーペンターの映画『ゼイリブ』は、主人公が思いがけず手に入れた特殊なサングラスによって、町中の人たちの真実の姿(骸骨のような宇宙人)が見えるという話だったし、宇宙人ではなく、人間そっくりのロボットに入れ替わっているのは諸星大二郎の『夢みる機械』で、周囲の人々が本当の家族や友人ではなく演技をしている役者であるというのはピーター・ウィアー監督の『トゥルーマン・ショー』だ。

どれも個人的に面白い作品だと思うし、すごく興味を惹かれる。というのも結局、少年時代のあの漫画体験による不安が俺の細胞に染み込んでいるせいなのかもしれない。小さい頃の体験というのは、深い深いものなのだろう。


ところで、冒頭で述べたとおり祖父はいつも学年誌を俺に買ってくれていたのだけど、これってとても素晴らしいことだと思うな。俺は付録がいっぱい詰まった学年誌をいつも楽しみにしていたし、祖父としても孫に会う良い口実にもなる。俺にもし孫ができる日が来るとしたら、同じことをしようと思う。(そんな日が来るのかどうかはさておいて。)


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2016/05/31 05:54 |遠くへ行きたいCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  

僕とルンペンと公園で

ルンペン【Lumpen】
〔襤褸(ぼろ)・屑の意〕
襤褸をまとってうろつく人。浮浪者。乞食(こじき)。

大辞林 第三版



ルンペン。彼はそう呼ばれていたが、住んでいる家がきちんとあった。ただ、その家はどういうわけだか近所の公園の敷地内に建てられた長屋の一画であり、そのせいで子供達が公園の敷地で遊んでいると、ふらふらとやってきて子供達を罵倒した。公園(遊園地が併設された大きな公園だった)を自分の庭だと考えていたのかもしれない。子供の間で飛び交う噂によれば、暴力も振るうこともあるのだった。

噂はそれだけではなかった。野球が好きで140キロ近い剛速球を投げるのだとか、近所の全ての自動販売機の釣り銭口をチェックして回っているだとか、ママチャリでバスを追い抜いたとか、犬の糞を投げてくるとか、それら数々の妙な風聞により、子供達の彼に対する印象は畏怖に支配されていた。そのおかげで子供達は噂を糧にして想像力を養ったという見方もできる。

年齢はどれくらいだったのだろう、子供の目には二十代にも見えるし、五十代にも見えた。服装はいつもボロボロのジャージを着ており、昼間からあてもなく自宅界隈をふらふらと彷徨いていた。

彼のことを考える時に、どうしても思い出す出来事がある。
ある日、俺と兄は二人で公園の野球の出来る大きな広場で凧揚げを遊んでいた。当時、俺は小学校低学年くらいで、従って兄は高学年だったと思う。常として、遊びの主導権は兄の方にあった。糸を持って凧を操って楽しむのはもっぱら兄で、俺は横に立って、それを見守るだけだった。それで満足していた。

広場には俺と兄以外は誰もいなかった。その日は風が強く、凧はとても高く飛んだ。大空高く上がった凧を見ながら、兄弟は歓喜の声をあげた。そうやって遊んで何分ぐらい経っただろうか、ふと視線を地上に移すと広場に人が入ってきたのが分かった。よく見ると、それはルンペンだった! 俺がその広場に起きた異変を兄に伝えると、歓喜の声は恐怖の声に変わる。兄弟揃って混乱状態に陥った。

ルンペンはじわじわとこちらに向かって来ていた。すぐさま逃げるべきだったが、状況がそれを許さなかった。兄の手には凧糸があり、それを捨てるのは子供の中の選択肢にはなかった。兄は大急ぎで糸を巻いた。凧は高く上がっている。ルンペンは近付いてくる。糸を巻き取るのが早いか、ルンペンが来るのが早いか、俺は二人の姿を高速で交互に見て、恐怖心と焦りで心臓が張り裂けそうだった。

ルンペンはもう3メートルほどの距離に来ていた。よく見ると、手には小石を持っており、それを片手でお手玉のように上下させている。今にも投げてきそうな雰囲気だった。140キロの剛速球で石を投げられたらたまったものじゃない。兄はまだ必死に凧糸を巻き取っていた。ルンペンは酔っ払ったような視線で俺と兄を見つめていた。恐怖心は最高潮に達し、次の瞬間、俺は逃げ出した。兄を置いて。

俺は走った。一度も振り返ることなく、一心不乱に走って自宅へ戻った。しばらくドキドキが収まらなかった。そうして、何分ほどかして凧を手にした兄が戻ってきた。すごく恨まれた。かなり憎まれた。あの後、俺が逃げた後に何が起きたのか、あるいは何も起きなかったのか、俺は聞かなかった。兄も話さなかった。いや、話したのかもしれない。けれど、俺の記憶にはない。

今思うと、ずいぶん薄情なことをしてしまったと思うけれど、同時に仕方ないかなとも思う。ルンペンはそれくらい恐怖の存在だったのだ。誰が俺を責められようか? 仕方ないだろっ!

2016/05/08 02:59 |遠くへ行きたいCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  

少年は自由だった(エロスの発生の巻)

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小学四年生の時、なんの授業だったか忘れたけれど、担任の教師がさとうきびを持ってきた。教師は、そのイネ科の植物を皆に示しながら、砂糖の原料となることや主に沖縄で栽培されていることやかじるととても甘いことなどを熱い教育心で説明した。
生徒達のほとんどは、珍しい植物(名前ぐらいは知っていたとは思うのだがそのあたりの記憶はあいまいだ)の実物を初めて見たのもあり、興味深く教師の説明に耳を傾けた。
やがて、俺の頭の中は、どんな味がするのだろう、という好奇心でいっぱいになった。おそらく他の生徒もそうだったに違いない。

そんな生徒達の思いを知ってか知らずか、一通り説明が済むと教師は、「甘いからかじりなさい」とさとうきびを配りだしたのである。これにはみんな大歓喜。ただし、問題があった。さとうきびの数が絶対的に足りない。30cmほどに切られたものが6、7本しかなかった。さとうきびは竹のように硬く、細かく切ることもできない。するとどうなるかというと、まず一番前の席の子らに一本ずつ配り、一番前の子がさとうきびの味を堪能した後、後ろの席の子にさとうきびを渡す。そうやって、後ろへ後ろへと渡していき、生徒全員がさとうきびの味を知ることが出来るという算段になる。

この作戦の瑕疵はあきらかだった。後ろの席の生徒ほど、損をするということだ。一番後ろの生徒なんかは、かじりにかじられしゃぶりにしゃぶられたメタメタなさとうきびが回ってくるわけで、不衛生不公平極まりないのだけど、不思議と不平不満の声は上がらなかったように思う。
学校という場における「甘味」という要素は、給食のプリンなんかを例にとるまでもなく、少年少女を熱狂させる。さとうきびという珍しさも相まって、教室の生徒達は亡者のようにさとうきびをかじった。しゃぶった。それはまるでジョージ秋山の『アシュラ』の世界のようだった。デブの小林君なんかは一本まるごとしゃぶり尽くす勢いだ。

俺は自分の席の列のさとうきびがやってくるのをまだかまだかと待っていた。当時、俺の前の席は前山さんという女の子で、彼女は背が高く、切れ長な目をしていて、小学四年生にしては過剰に妖麗な雰囲気を具えていた。そんな彼女がさとうきびをかじり、しゃぶっていた。なんだか形容しがたい感覚が自分に芽生えるのを感じた。もう、さとうきびの味はどうでもよかった。

そして、さとうきびは俺に渡された。俺の手には、前山さんがしゃぶり倒したさとうきびがある。何をしようと自由だ。少年はその時、果てしなく自由だった。
それは佐賀の空のようにどこまでもどこまでも自由だった。



2016/04/12 03:04 |遠くへ行きたいCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  

おぼっちゃまくんが燃えた日


下品で馬鹿で、亀を愛する金満少年・御坊茶魔が巻き起こす騒動劇。
月刊コロコロコミックに連載されていた漫画『おぼっちゃまくん』を初めて読んだのは小学校の低学年の時で、確か巨大な大仏の中を冒険するエピソードだったと思う、一目見て俺はすぐに大ファンになってしまった。とてつもない金持ちだがカッコ悪くイノセントな少年は愛すべきキャラクターだった。知ってるか? 鼻くそが黒真珠なんだぜ。

年を経て、俺が中学生になったある日、全巻持っていた単行本を全て燃やしてしまった。所持しているのが気恥ずかしくなったのが主な理由だった。古本屋に売るという手段もあったと思うのだが、通過儀礼という意味において「燃やす」という行為が必要だったのかもしれない。矛盾しているようだが、かつてはそれぐらい大切な存在だった。と言うのはやや大げさな話だ。
『おぼっちゃまくん』はよく燃えた。そして後悔した。

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やがて俺が大人になって上京し、茶魔が住むとされる田園調布に初めて降り立った時、心中に去来する思いは並々ならぬものがあり、泣いてしまったとかそうでないとか。いや、泣きはしなかったけれど、東横線に乗って田園調布駅を過ぎる度に茶魔を頭に思い描いていたのはほんとの話。

そんな『おぼっちゃまくん』ももしかすると、いま読んでみると面白くないかもしれない。
きっとそうだ。子供向け漫画なんだから。
しかし子供向けの作品でも、大人が楽しめる作品というのもある。
『おぼっちゃまくん』がそうなのかは怪しいところかな。

ところで、俺はこれから賞味期限が2日過ぎた豆腐を食べようとしている。賞味期限に敏感な俺としてはちょっとした冒険だ。大仏の中を冒険するのとどっちが冒険だろうか。


2015/12/27 06:59 |遠くへ行きたいCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

夢とか現実とか


小学三年生の頃、友達と三人で下校していた。
話題はクリスマスが近いという事もあり、サンタクロースの話になった。
するとH君が鼻水を垂らしながらぽつりと呟いた。
「サンタクロースはおらんとばい」
俺とA君は、何を言い出すのか、夢のない奴だ、とH君をなじり、じゃあ誰がプレゼントを枕元に置いてるの? と問い詰めた。
するとH君はこう言った。
「お父さんが置いてるとこを見たけん」
俺とA君はH君の告白を決して信じなかった。
H君も自分の主張を変える事はなく、我々は平行線をたどった。
俺だって、どこかの国の太ったおじさんがトナカイに乗ってやってくるなんて、無条件に信じるほど純粋ではなかったが、それでも信じたいと思う気持ちが働いていた。
小学三年生というのは、そんな微妙な時期だと思う。
なじりになじられたH君の口を尖らせた顔を思い出す度、俺は心が少し痛くなる。

 ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ (吉本隆明「廃人の歌」)

さて、H君は真実を口にしたのか?

2015/12/22 00:11 |遠くへ行きたいCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

J君の山姥の絵


小学六年の夏休み明けの事だった。
クラスの皆めいめいが宿題の読書感想画を見せ合っていた。そんな中、俺は友人のJ君の絵を見て度肝を抜かれた。それは山姥(やまんば)の絵だった。鬼のような形相の山姥が村人に迫り来る、おそらく昔話にある山姥の話の一場面を描写したその絵は、とんでもない迫力に満ちていて、悪夢をそのまま具現化させたような恐怖があった。その原初の衝動は子供にしか描き得ないものだった。J君というのは普段は特別絵が上手なわけではなかったが、その絵だけは凄かったのだ。ミラクルが起きていた。俺が絶賛するとJ君はすごく得意な顔をしていたのを今でも覚えている。

後日である。読書感想画のコンテストがあるという事で、コンテストに提出する絵をクラスから一枚だけ選出する事になった。選出は教師の独断で決められた。俺は当然J君の山姥の絵が選ばれると思っていた。ところがどっこい違ったのである。選ばれたのは、こう言っては何だが、愚にもつかないつまらない絵だった。よく出来てはいるが、それだけの絵だ。こんな絵がJ君の絵より優れているとはとても思えない。

J君の絵が何の賞も貰えないどころか、コンテストに提出さえされないなんておかしい。世の中おかしい。この理不尽な仕打ちを俺は許せなかった。俺は教師に質問した。なぜJ君の絵じゃないんですか? 普段は大人しい少年の突然の楯突きに、面食らったような女教師は最初は「もう決まった事だからいいでしょう」とはぐらかしていたが、子供の拙い言葉ながらも山姥の絵の素晴らしさを熱弁する俺に根負けするように、煩わしそうに次の言葉を吐いた。
「あまり綺麗じゃないから」

結局、俺の異議は通らなかったし、この件で以前から好きではなかったこの女教師の事もますます嫌いになったし、学校そのものもますます嫌いになった。綺麗ではないから、と山姥の絵を否定する無能な教師に対し、うんこ野郎! と叫びたかったし、うんこを投げつけたかったし、物事の上澄みだけをすくい上げ賞揚する学校教育の愚かさを垣間見た。その時少しだけ俺は大人になった。

俺には本当の山姥はその女教師に見えた。
気をつけて下さい、あなたのそばにも山姥はいるのです。



2015/12/20 06:45 |遠くへ行きたいCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

あの日の味


四月になり、春らしい気候の恩恵を得られるかと思いきや、ぐずついた天気が続いている。しかもこの先しばらくは続くそうだ。そうこうしているうちに春は終わるだろう。歳月流るる如し。

最近、よく思い出す事がある。小学校の同級生だった二又君の事だ。

あれは小学四年生の時だった。学校帰りに彼の家に行って三人ぐらいで遊んでいたら、誰ともなしに、お腹が空いたなぁ、ということになった。すると二又君はおもむろに勉強机の引き出しを開けるのだった。その引き出しの中には、たい焼き一匹が入っていた。何にも包まれていない裸のたい焼きがひとつだ。はっきり言って変だ。
どうして勉強机の引き出しにたい焼きを入れているのか、そもそもそのたい焼きはいつのなんだとか、色々と疑問はあったが、とにかく空腹だった我々は、たったひとつのたい焼きを分け合って食べた。ひどく乾燥しており、とても固かった。まるでビーフジャーキーのようだった。あんなたい焼きを食べたのは後にも先にもあの時だけだが、ともかく勉強机の引き出しに裸のたい焼きがたったひとつ入っている光景というのは印象的だった。それはまるでシュルレアリスムの「手術台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのよう」だった、と言えば言い過ぎか。

別の日だ。
また学校帰りに数人で彼の家に行き、遊んでいたら、これまたお腹が空いたなぁ、ということになった。今度はさすがに引き出しにたい焼きがあるわけでないし、二又君のところは共働きで、その時俺たち子供以外誰もおらず、おやつもなかった。駄菓子を買う金もない。万事休すかと思われた。しかし、二又君は自慢気にこう言った。

「お好み焼きを焼くばい」

彼は年齢の割りに大人びたところがあった。彼は宣言した通りに、お好み焼きを作り出した。小学四年生が、である。俺たちは驚きつつも二又君の一挙手一投足を見守った。彼は手慣れた手つきで、キャベツを切り、粉と卵を混ぜ、フライパンに油を引き……と料理をこなしていった、俺たちの目に映るそれはまるで魔法のようだった。
彼がとても大人に見えた。
出来上がったお好み焼きはきらめいて見え、味も美味しかったのを今でも覚えている。


やがて学年が上がり、違うクラスになった俺たちは疎遠になった。よくある話である。
数年が経ち、十六歳になった時、同級生づてに彼が死んだことを知らされた。
母親が家に帰った時に、玄関で倒れていたとのこと。死因も聞いたが、よく覚えていない。

今日俺は誕生日を迎え、三十五歳になったが、思い出の二又君はいつまでも自分より大人に見える。
彼は永遠に十六歳で、俺は年々、いたずらに歳を重ねる。
お好み焼きの作り方もよく知らないままに……




2015/04/05 23:24 |遠くへ行きたいCOMMENT(4)TRACKBACK(0)  

俺とウメ仙人


あれは昔々、俺が小学生の頃。
近所に「ウメ仙人」と呼ばれる怖いおじいさんがいた。見た目が本当に仙人のようで、白くて長い髭が特徴的で、どうして「ウメ」なのか誰も知らなかったが、みんなそう呼んでいた。黒光りする杖をいつも持っていて、なおさらそれが仙人的だった。

ウメ仙人の家は駄菓子屋に行くのにちょうどよく、みんなショートカットとしてウメ仙人の家の庭を横切って駄菓子屋に行っていた。仙人はそれを良く思っていなくて、しょっちゅう怒っていた。今考えると俺だって怒る。
それでも子供達はウメ仙人の庭を横切るのをやめなかった。一種の肝試し的な感覚があったのだ。

ある日、いつものように仙人の庭に忍び込むと、仙人が待ち構えていた。これはやばい怒られる、と思ったら、予想に反して仙人はニコニコしている。それどころかお菓子を渡してきて、「うちでお茶でも飲んでいけばよかやっか」と家に招き入れるのである。
子供心にこれは罠だと察した俺は、さっと身を翻し、一目散に退散した。

数日後、またいつものように仙人の庭に忍び込んだ。するとまさに今、友人の岡田が仙人の家に招き入れられようとしている所だった。岡田の家庭はおそろしく貧乏で、きっとお菓子に目が眩んだに違いない。
俺は、引返すんだ岡田! と思ったが思っただけで声が出なかった。
仙人と岡田は家に吸い込まれて行った。

……次の日、学校に行くと岡田は元気に登校していた。仙人の家で何があったのか、一体どんな目にあったのか、もちろん聞いた。すると岡田は鼻水を出しながらニンマリと不敵に笑い、何も答えないのである。
ただ「今日も行くばい」と言うのだった。そして「一緒に行くか?」とさえ。
俺は大いに迷ったが行くことにした。

いつもは垣根の間からこっそり侵入する仙人の敷地に、今回は堂々と玄関から入ることに奇妙な感じを受けつつ、仙人宅のチャイムを押す。
仙人はいつもの出で立ちながら、「よう来たの」と迎え入れてくれた。家の中はどちらかというと簡素だったが、新聞を捨ててないのか、家の至る所に大量の古新聞が置いてあった。どうやら一人暮らしのようだった。

岡田と俺は居間に通され、お茶とお菓子を頂いた。
するとおもむろに仙人が「ちょっと待っとれ」と言い、別の部屋に引っ込んだ。
ここで岡田が耳打ちしてきた「仙術ば見せてくれるとばい」
え? 仙術てまじか。俺はワクワクして待った。

仙人は戻ってきた。タキシード姿でシルクハットをかぶっていた。今にもマジックをやりそうだな、と思っていたら本当にマジックをやりだした。岡田の言う「仙術」とはこのマジックの事だった。俺はちょっと落胆したが、楽しそうにマジックをやる仙人を見て、こちらも素直にマジックを楽しんだ。

そこから俺と仙人の交流は始まり、色々な事を仙人から聞いたりした。
とりわけ戦争の話は鮮烈だった。
仙人とは様々な交流があったがここでは長くなるので割愛する。


進級とともに、足繁く通っていた仙人の家にもやがて行かなくなった。
ある日、ふと思い出したように、久しぶりに仙人の家に行ってみると、誰もおらず、家の中を覗くと家具なども全部処分されていた。
引っ越されたか、お亡くなりになったのだろう。
けれど当時の俺は、そのどっちの考えも持たずに、消えた仙人にただ戸惑った。
今でも覚えているその日はとても暑い夏の日で、空には入道雲が湧き上がっていた。
仙人はきっと雲の上に帰って行ったのだ。そんな気がした。


2014/12/11 23:50 |遠くへ行きたいCOMMENT(5)TRACKBACK(0)  

夏休みの神様

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小学6年生の頃。
8月31日。
8月31日の俺は「猛宿題処理マシーン」と化す。
夏休みの友…
漢字書き取り…
算数ドリル…
高速に雑に順調に夏休みの宿題を終わらせていく。
ところがどっこい、
自由研究が全くの手付かずの状態であることが判明した。
刻はもう夕方である。
さすがにこればっかりはどうあがいても間に合わない。
焦った。
この夏、宿題を顧みず遊び呆けた自分を呪った。
俺は藁にもすがる思いで友人Aに電話した。

Aはこう言ってくれた。
「おい(俺)の自由研究に一緒に名前を書けばよかばい」

この時ばかりはAが神様に思えた。

ということで偽りの連名をした自由研究は学校に提出された。

次の週、理科の時間に自由研究の発表会があった。
もちろん神様Aと一緒に発表である。
全てをAに発表させ、俺は横に立ってるだけのつもりだ。
だから研究の内容は一切把握してない。
把握する必要はない。
……そのはずだった。

それなのに発表会当日、病弱なAは風邪で学校を休んだ。
必然的に俺一人で発表することになった。
その発表が散々だったのは言うまでもない。


2014/10/29 22:14 |遠くへ行きたいCOMMENT(2)TRACKBACK(0)  

怠慢の王様

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小学生の時、図書委員だった。
当時は特別に本が好きというわけでもなく、どの委員でも良く、なんとなく決まった委員だった。そんなこともあり、俺のやる気はほぼゼロに近く、貸出係などの当番もほとんどサボって校庭で遊んでいた。責任感というものがやや欠けていた少年だったのである。

やがてそのツケが回って来た。朝の全校集会にて図書委員で劇をやることになり、誰が主役をやるかという段になったときに、図書委員当番の出席率がいちばん低いという懲罰的理由で俺が選ばれてしまったのだ。委員、満場一致の可決であった。俺はその結果に抵抗した。が、覆らなかった。題目は何だ、と聞くに『裸の王様』だという。それを聞いた俺はさらに抵抗し、今までの怠慢を弁解した。しかしそれは誰の心にも響かなかった。図書委員のみんなはニヤニヤ笑っていたようにも思う。ヒドい話だョ。

何故ゆえに多感な年頃の少年が全校生徒の前で間抜けな王様を演じ、パンツ一丁にならねばならぬというのか? 少年は自問した。答えはもちろん図書委員活動に対する怠業によるものであるわけだが、少年にはそれが納得いかない。納得いかないが、全校集会は確実にやってくるわけで、稽古もそれなりに頑張ったが、劇の結果はさんざんだった。今では思い出したくない思い出のひとつだ。

それ以来、少年は真面目に図書委員活動に励んだ。というわけもなく、懲りずにサボりまくるのであった。
当時、世の中はJリーグブームだった。Jリーグカレーも発売され、ラモスもおかわりしていた。佐賀にもその波は押し寄せており、クラスでもサッカーが大流行していた。俺も例に漏れず、当番をサボって校庭で球を蹴る日々だった。


事あるごとに「ちゃんと当番やらなきゃダメだよ」と注意してくれていた同じクラスの図書委員の女の子がいた。俺はいつも、わかっとうばい、とか何とか言いながら聞き流していた。
ある日、いつも通り教室を抜け出そうとする俺の腕を引っ張り、彼女は図書室に俺を連れていった。彼女は図書委員のいろいろな業務内容を、今さらながら教えてくれた。俺はイヤイヤながらも、無意識下に「もう裸の王様はやりたくない」という気持ちがあったのか、素直にそれを聞いた。そんな日が何日か続いた。

やがて俺は図書委員をサボらなくなっていた。図書委員の業務そのものにも意欲が出てきていた。好きな時に『はだしのゲン』が読めるのも気に入った。この世界にさまざまな本が存在することも知った。少年は変わったのだ。
それもこれも彼女のおかげだったろう。相変わらず図書委員のみんなとは馴染めなかったが、彼女とだけはわりと仲良く会話していたように思う。楽しかった。初めて知る楽しさだったかもしれない。
しかし、そんな日も長くは続かなかった。彼女が転校するという。

一学期だか二学期の終わり、クラスで彼女のお別れ会をやった。
会の最後に彼女はひとりひとり握手をしていった。俺の番だ。
俺は「今までありがとう」とだけ言った。すると彼女はこう言った。

「裸の王様、格好良かったよ」

俺はビックリした。それまであの劇を褒めてくれた人はいなかった。
後にも先にも彼女だけだった。

そんなわけで、俺の初恋はいつも図書室の匂いがする。







2014/05/14 21:14 |遠くへ行きたいCOMMENT(3)TRACKBACK(0)  

副島よ永遠なれ

「みんなのうた」で、昔ギリシャのイカロスは~♪という歌があったのだけど、
それを聞く度に俺は、一つの出来事を思いだす。


……それはむかしむかし、小学2年生の頃。
クラスに副島という名前の男の子がいた。

当時、俺らの間では「ケイドロ」という、名前は違えど皆もやった事あると思われる、
ケイサツとドロボウの二手に分かれて鬼ごっこの様な事をする遊びが流行っていて、
昼休みには大抵みんな遊んでいた。
ある昼休みの事、遊具のつり橋にて二人のケイサツに前後から挟み込まれたドロボウ副島くん。
前から、後ろから、じりじりと追い詰められている。
俺はそのスリリングな瞬間をのほほんと下から見上げていた。
つり橋の高さは3mくらいだろうか、もう副島は万事休す、かと思われた。
前後から二人のケイサツがじわじわとやってくる状況に、彼は混乱しているようにも見える。
しかし、副島はあきらめなかった。次の瞬間、なにを血迷ったか、彼は……

飛んだ。飛んだのだ。

3mといえば小学2年生にとっては相当の高さだ。
「飛び降りる」ではない。まるでウルトラマンのように飛んだのだ。
俺は見上げる形だったので、よく晴れた空は太陽がまぶしく、そのせいで副島もまぶしかった。
彼は背中を反らし、太陽に届け!とばかりに手を前方へ向け、足を伸ばして飛んでいた。
逆光によって浮き出されたそのシルエットはあまりにも美しく、そして、自信に満ち溢れていた。
その時、彼自身ほんとに空を飛べると思っていたに違いないし、俺も飛べると信じ込んだ。
かっちょよかった。その一瞬に副島は輝いていた。


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そして、彼は彗星のごとくびゅーーーんと空の彼方に消えていった。
……かと思われたのは幻で、夢見る少年はそのまま地面に落下した。
思いっきり腹部を痛打した彼は、身をよじり半泣きで
「○○~(俺の名前)」とうめきながら近づいてきた。
鼻水に砂がいっぱい付着していた。数秒前の彼とはかけ離れた無惨な姿だ。
そんな彼にどんな反応をしたのかはよく覚えていない。

けれど、俺は忘れない。飛んだ瞬間を。
副島が自らを空を飛べると思い、俺もまたそれを信じこんだ瞬間の事を。



2014/03/25 01:11 |遠くへ行きたいCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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