あの鐘を鳴らすのはあなた


近所の定食屋で商店街の福引き券を貰った。
一等はディズニーのチケットで、二等は現金のつかみ取りらしい。
一等はそんなに欲しいとは思わないが、現金のつかみ取りはしてみたい。
まぁ、しょぼくれた商店街なのできっと一円玉や五円玉ばかりに違いないが。
金をむんずと掴む。世俗にまみれた感じがしてよい。

福引会場は駅前に設営されていた。
最終日だからか、長蛇の列が出来ている。
しょぼくれた商店街のしょぼくれた福引きに並ぶしょぼくれた人たち。
さっそく列に並んだ。俺もまた同様にしょぼくれて見えているのだろうか。

当然ながら当たりの数は限られているわけで、
俺より先に並んでいる人たちは皆、敵だ。ここは戦場なのだ。
俺はガラガラが回るたびに「外れろ、外れろ」と念を送った。
ユリゲラーのように。Mr.マリックのように。
それが効いたのか、みんな六等のポケットティッシュを貰っている。
いい調子だ。俺には悪魔が宿っていた。

しかしややあって、大当たりを知らせるベルの音が鳴り響いた。
列の先頭を見ると中学生くらいの男の子がガッツポーズで喜んでいる。
なんと二等賞らしい。現金のつかみ取りだ。
現金の入った箱に手を突っ込む中学生。
周りは固唾を飲んで見守った。
引き出された握りこぶしは白い皿に向かって開かれた。
チャリンチャリン! 魅惑の音を響かせて数十枚の小銭が皿に放たれた。
意外な事に百円玉が多い!
しかしそれ以上に意外な事に、多くの飴玉が小銭に混じっている。
なんてせこいんだ。飴玉でかさ増しするとは……この商店街は油断ならぬ。

そして俺の番がやってきた。
渾身の力を込めてフルパワーでガラガラを回す。
出てきたのは緑色の玉。けっして白色のポケットティッシュではない。
緑とは縁起がいい。緑は目にいい。俺はほくそ笑む。悪魔の笑みだ。
驚くべきものが当たった。

切り餅一個。

大当たりのベルは鳴らなかった。当たり前だ。
寒風の吹く中、家路を歩く男の後ろ姿は確実にしょぼくれていた。




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2014/11/30 21:03 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

Vertigo


電車の窓から見える街の家々は灯りをともし、
それぞれの生活を映し出している。
途方もない数の、名も知らぬ人たちの真剣で平和な生活。
めまいがする。
俺には栄養と野望が足りないのだ。


2014/11/29 23:56 |雑記COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

黒いハムスター


以前、真っ黒なハムスターを飼っていた。
丸まって眠る姿はまるでおはぎのようだった。
たしか500円だったと思う。
購入した時はもうすでに立派な大人で、
「旅立ちセール」という文句で売られていた。
2、3年でほんとに旅立った。
今でもおはぎを見るたびに思い出す。


2014/11/28 23:34 |雑記COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

淡くぼんやりと


今日は朝の冷え込みもゆるやかで、昼間は暖かいくらいだった。
日差しは優しく、風も心地よい。こんな日を小春日和というのだろう。
仕事も休みだし、何をしようか、と俺はふらふら散歩した。
駅前には選挙カーが停まり、候補者が演説をしている。
通行人にビラを配っていたが、俺には配られなかった。
つい最近も、注文した定食が待てども待てども出てこないということがあった。
存在感が薄くなっているのだろうか。
人間というものの希薄化。
そのうち透明人間にでもなって、あんなことやこんなことをしてみたい。

ところで小春日和といえば、インディアンサマーという別名がある。
このインディアンサマーという響きがとても好きだ。インディアンサマー。


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インディアンサマー【Indian summer】
①アメリカで,晩秋から初冬のころ,通常より暖かく穏やかな日和(ひより)の続く現象。小春日和。
②(比喩的に)晩年の穏やかで落ち着いた生活の続く一時期。
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2014/11/27 20:34 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

古本屋のおじいさん


近所のすき家で一人しがなく牛丼を食べた後、小さな古本屋に寄った。
レジには80歳くらいのヨボヨボのおじいさんが座っており、レジ横に設置されたテレビを見ているようだった。
静かな店内にテレビの音だけが響き渡る。
と思いきや、テレビに反応して、おじいさんが時々フガフガ言っている。

そんな店内で本を物色していると、やがておじいさんが声をかけてきた。

「ちょっと便所行くから留守番頼んだよあんた」

もちろん俺が留守番する義理は無いのだけど、どうせ本を見ながらで時間は過ぎるので
「あ、はい」
と答えておいた。するとおじいさんは俺の反応を聞くか聞かないかの早さで奥の座敷に引っ込んだ。
俺はそのまま本の物色を続けていたんだけど、おじいさんが全然戻ってこない。
戻ってこない。かれこれ30分くらい経ったんじゃなかろうか、俺はもう買う本を手に取っていて、あとは会計を済ますだけ。はやく家に帰りたかった。

そこでレジの奥の座敷に向かって呼びかけるも反応がない。
いくらおじいさんとはいえトイレに30分もかかるとは思えない。これは何か事故が起きたんじゃないか。冬のトイレは老人の事故が多いと聞くし……

正義感溢れる好青年であるところの俺は、意を決して様子を見に行くことにした。
店はレジ裏がそのまま住居となっているような、古い古本屋によくある作りのようだ。
「すいませーん」と言いながらレジ裏の座敷に上がった。
トイレがどこにあるかわからないが座敷の奥にもうひとつ薄暗がりの居間があり、俺はそちらに足を踏み入れた。そこに驚くべき光景があった。


おじいさんは寝ていた。
布団に入って、スヤスヤと寝ていた。

えええ?!
おらびっくらしただ。
トイレに行ったはずのおじいさんが寝てんだもの。
思わず笑ってしまったが、あんなんで商売大丈夫かなあのおじいさん。



2014/11/26 23:16 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

カレーコロッケ


今日は一日ついてなかった。
こんな日はさっさと家に帰り、高倉健追悼番組なんかを見ながら、ひとり鍋をつつくに限る。つつくに限るけど、現実はいつもの出来合いもの。アジフライにメンチカツ……揚げ物はもう飽きた。コレステロール、コレステロール。明日からは健康のためにもスーパーの惣菜を買うのを控えようと思う。しかし近所のスーパーのカレーコロッケだけはやめられそうにない。カレーコロッケうまいんだ。

ニュース番組でおせちの特集をやっていた。
コンビニでは「おひとり様」用に5000円のおせちを売り出すとのこと。
時代か。それにしても一人でおせちってちょいと悲しくならないか。
そういや、スカスカおせちで話題になったグルーポンが、またおせちを販売するらしい。買う人いるのだろうか……

20141125232042923.jpg
(伝説のグルーポンおせち)




2014/11/25 23:27 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

原始時代でムズムズヒリヒリ


例えば、原始時代にタイムスリップしたとしよう。
するとどうだろうか、ウォッシュレットが無いらしい。
ウォッシュレットどころかトイレットペーパーさえも無い。
困ったあなたは、そこらへんに茂っている葉っぱを使う。
しょせん葉っぱだから、綺麗には拭き取れない。
その結果、非常に肛門様がかゆいかゆいことになる。
常に痒い思いをしながら生活することになる。これは辛い。
マンモスを狩るにも痒さが気になってそれどころじゃない。
周囲の生粋の原始人はそれがデフォルトなので、少々の痒さは意に介さない。
痒さ自体を感じていないかもしれない。原始人の肛門は強いのだ。
狩猟民族において、狩りの成否は最重要課題。
マンモスを充分に狩ることができないあなたは村八分にされる。
これは大問題だ。ひとりでは到底生きていけない。

この例え話はなにを示唆しているか?
あまり利便性に寄り掛かりすぎてはダメですよということだ。
いつか手痛いしっぺ返しに遭う気がしてならない。

話は飛躍するが、原子力発電は確かに文明の進歩だったかもしれない。
だからといって嬉々としてその恩恵を享受してしまっていていいのだろうか。
未来の為に拒否するという決断も時には必要なのでないだろうか。
これは極論だろうか。果たして。

慣れというのはどこか恐ろしいものだ。
恐ろしいものだといいながら、新しい利便を平気で享受してしまう。
それが人間の宿命なのだろうか。



2014/11/24 23:15 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

米を研ぐということ


Amazonで購入した無洗米が届いた。初めての無洗米。
米を研がなくていい。
当たり前だがこれが非常に楽だ。
こんなに楽しちゃってよいのだろうかとさえ思う。
思えば、小さい頃から米は研ぐものとして教えられ、
今やそれはそれは根深い認識としてあったわけで、
無洗米の簡便さに対する違和感はそうそう払拭できそうにない。

それでもいつかは慣れてしまうのだろう。
そして普通の米に戻れない体になってしまう。
これを進化というか、退化というか、どちらかはわからない。
どちらにせよ、最近の俺は怠惰だ。

2014/11/23 22:08 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

餃子カレーに夢みたものは


近所の中華料理屋に行ったら餃子カレーなる攻めたメニューが新登場していた。
カレーの上に餃子が4つ乗っている名前通りの料理。

……注文しなけりゃよかった。別々に食べた方が絶対いい。
餃子はどこまでも餃子でしかなく、カレーはどこまでもカレーだ。
両者は決して重なり合うことはなく、永遠に平行線を辿る。
歩み寄らないふたつのエゴ。餃子とカレー。皿の上の不協和音。

しかし中華料理屋の店主は両者がエレガントに交わることを憧憬したのかもしれない。
冷え切った夫婦生活を料理に託し、叶わぬ夢を見たのかもしれない。

俺はあのカレーを「非ユークリッド幾何学的カレー」と名付けたい。
もう食べないけど。





2014/11/22 06:17 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

ゴーエンパーリィ!


玄関を出た瞬間、冷たい空気が鼻の粘膜を刺激する。いよいよ本格的に寒い。
街は悲しい風が吹き、人々の往来は足早だ。公園では枯れ葉が舞い、元気な老爺老婆がウォーキングに勤しんでいる。元気でいいが、心臓発作でも起こしやしないかと少々ヒヤヒヤものだ。

スーパーの店頭では柑橘類が色鮮やかに配置され、パチンコ店は相変わらずの喧騒。バスの停留所ではマフラーを巻いた女学生が寒そうに息を吐き、帰宅ラッシュの電車はサラリーマンで溢れ、その窓は白く曇っている。本屋ではエロ本コーナーの前を中学生がウロウロして思春期の鬱屈した緊張感を醸し出しているし、コンビニはホットコーヒーの香りが色濃く漂い、OLがあたたかいあんまんを買っている。ケンタッキーでは早くもクリスマスソングが流れている。俺はささやかな尿意を感じる。

この薄暮の世界はいささか既視感に強すぎるようだ。
偉大なるマンネリズムの日々は、時間の感覚を麻痺させ、この身体をますます鈍感にさせる。
安定した日常、それが何になろう?
生きているだけ、それが何になろう?
己が生活に火を灯せばいい。明日も明後日も。
散りゆく木の葉は赤く燃えている。
おぼっちゃまくんの頬のように。



2014/11/21 21:44 |雑記COMMENT(5)TRACKBACK(0)  

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