2015年が終わる


2015年が終わる。
この年末は仕事と食料の買い出し以外にはほとんど外出していていないので、なんだか世間の波に乗り損なっている感覚がする。別に乗る必要も無いだろうけれど、せっかくの年末年始なんだから年末年始らしい事もしてみたいとは思う。と書きつつも、思うだけで終わるのだろう。一応、どん兵衛だけど年越し蕎麦は買った。どん兵衛だけど。どん兵衛だけど。
人混みが嫌いなので初売りや初詣には行かないだろうな。つまり寝正月。

2015年が終わる。
この一年、良い事も悪い事もあったが、悪い事のひとつは35歳にして初のぎっくり腰になった事だ。正直、それまでぎっくり腰というものを甘く見ていた。あんなに辛いとは思わなかった。何をするにしても激痛が伴うので、全ての動きが恐怖に怯えながらのスローモーションになった。まるでサム・ペキンパーの世界だ。もう二度と経験したくないと思うのだが、ぎっくり腰はとても再発性が高いらしい。戦々恐々とする日々である。

2015年が終わる。
良い事。それは今年は読書への集中力が戻りつつある事だ。去年はどういうわけだか謎の集中力低下で思うように読書が出来なかったので、これは嬉しい。自分にとって読書とは、人生の必要欠くべからざる「楽しみ」と「慰め」なのだから。このペースで来年も読める事を願う。

2015年が終わる。
この時期の俺の胸中には、今年一年を無事過ごせた事に対する安堵と、来年を迎える事への不安と期待が渦巻いているが、湯温を45度に設定した熱めの湯船にゆったり平穏に浸かっていると、何もかもがどうでも良くなってくる。そんな最中にふと外の方から救急車の不穏なサイレンが聞こえてくると、世の中の儚さを知るようだ。人生は手のひらの上で消えゆくバブのように儚い。


皆さま、良いお年を!

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2015/12/31 21:00 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

細々とした事が


はがしづらいブックオフの値札シール。
むきにくい魚肉ソーセージ。
『キング・オブ・ザ・ヒル』の配信を止めたHULU。
笑えないコメディー映画。
広がりつつあるパンツの破れ目。
ここぞという時に電波をキャッチしなくなるスマホ。
紛失したトーマス・マン『トーニオ・クレーガー』
通路ですれ違っても挨拶をしない隣のじいさん。

細々とした事が俺をさいなむ。

2015/12/30 00:23 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

冬のサンダル


先ほどスーパーへ買い物に行く道すがら、さびれたパチンコ店の前で兄妹と思しき子供が二人ポツンと立っていた。小学校高学年くらいの男の子と低学年くらいの女の子。毛の色こそ違うものの『ポーの一族』にでも出てきそうな繊細そうで可憐な兄妹は、身を寄せ合い寂しげに立っていた。

時間はもう夜十時を過ぎており、寒さも厳しく、周りに親の姿は無く、状況は普通じゃない。とはいえ、おおかたの経緯は容易に推測できる。親はきっと子供を放置して店内でパチンコでもしているのだ。少々胸を痛める光景でありながらも、俺にできる事はなにも無い。そのままスーパーに向かった。

買い物を済ませた帰り道、ふたたびパチンコ店の前を通ると、三十分ほど前と同様に兄妹は居た。今度は妹の方は泣きじゃくっている。二人とも薄着で、非常に寒そうだ。
とってもとても親切心溢れる俺は、気まぐれも手伝い、余計な事かと思いつつも声を掛けた。もしかすると迷子という可能性もあると考えていたのだが、話を聞いてみると、当初の予想通りに父母のパチンコが終わるのを待っているという。

パチンコ店によっては店内に休憩コーナーがあるところもあるが、この店には無く、かと言って店内の耳を裂くような喧騒の中で待っているのが辛かったのだろう、きっとそれで厳寒の戸外で立ち尽くすという事に相成ったのだ。冬だというのに兄妹は何故かサンダルを履いており、妙にその事が印象に残る。

俺は店内でぬくぬくとパチンコに興じている親を鈍器でぶん殴ってやりたくなる気持ちを抑えつつ、スーパーで買った大好きな「ブルボン チョコあ〜んぱん」を泣きじゃくる女の子に断腸の思いでプレゼントし、パチンコ店の閉店時間が近い事を教え、とぼとぼと家路に着いた。

ロクでも無い親を持った二人の将来を考えて、一抹の影が心に落ちたが、俺のした事も結局のところ、お菓子をあげただけに過ぎない。まぁ、無数のもっとひどい事が世界中の至るところで起きているわけだが、こんな夜は年の瀬の寒さが身に染みる。


2015/12/29 00:34 |雑記COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

中山に散る

今日は有馬記念があった。元々ギャンブルはあまりやらない方だが、一時期競馬に熱中していた事がある。今はもう大きなレースを楽しむくらいで、ほとんどやらない。

競馬をする人間には様々なタイプがいる。
動物のような博打的直感に長けた人、データを網羅的に知悉している人、豊かな想像力でレース展開を想像する人、寺山修司のように人間と馬にドラマを見いだす人、陰謀論めいたサイン理論を実践する人。どれもが尊敬する才能だったが、能力的にどれも自分のロールモデルにはなり得るとは考えられず、しかも驚くべき事に彼らの才能を持ってしても「馬券は外れる」という事実を知った時はギャンブラーの悲しい運命を垣間見た気がした。

今日の有馬記念、買った馬券は紙くずになったが、これが引退となるゴールドシップの白い馬体が走る姿はとても格好良かった。

2015/12/28 00:06 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

おぼっちゃまくんが燃えた日


下品で馬鹿で、亀を愛する金満少年・御坊茶魔が巻き起こす騒動劇。
月刊コロコロコミックに連載されていた漫画『おぼっちゃまくん』を初めて読んだのは小学校の低学年の時で、確か巨大な大仏の中を冒険するエピソードだったと思う、一目見て俺はすぐに大ファンになってしまった。とてつもない金持ちだがカッコ悪くイノセントな少年は愛すべきキャラクターだった。知ってるか? 鼻くそが黒真珠なんだぜ。

年を経て、俺が中学生になったある日、全巻持っていた単行本を全て燃やしてしまった。所持しているのが気恥ずかしくなったのが主な理由だった。古本屋に売るという手段もあったと思うのだが、通過儀礼という意味において「燃やす」という行為が必要だったのかもしれない。矛盾しているようだが、かつてはそれぐらい大切な存在だった。と言うのはやや大げさな話だ。
『おぼっちゃまくん』はよく燃えた。そして後悔した。

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やがて俺が大人になって上京し、茶魔が住むとされる田園調布に初めて降り立った時、心中に去来する思いは並々ならぬものがあり、泣いてしまったとかそうでないとか。いや、泣きはしなかったけれど、東横線に乗って田園調布駅を過ぎる度に茶魔を頭に思い描いていたのはほんとの話。

そんな『おぼっちゃまくん』ももしかすると、いま読んでみると面白くないかもしれない。
きっとそうだ。子供向け漫画なんだから。
しかし子供向けの作品でも、大人が楽しめる作品というのもある。
『おぼっちゃまくん』がそうなのかは怪しいところかな。

ところで、俺はこれから賞味期限が2日過ぎた豆腐を食べようとしている。賞味期限に敏感な俺としてはちょっとした冒険だ。大仏の中を冒険するのとどっちが冒険だろうか。


2015/12/27 06:59 |遠くへ行きたいCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ピンク色の罠


昨日の日記でういろうを買った事を書いたと思う。そのういろうをさっき食べていたんだけど、ふと原材料の表記を見て、俺はとても後悔した。
というのも原材料にコチニール色素が使われている事を知ったからだ。ご存知でしょうか? コチニール色素というのは、つまり昆虫から抽出される赤い色素なのです。
正直な話、虫が大嫌いな俺にとってそれは本当に忌避すべき存在であり、それをパクパクと食べてしまった事は虫を食べてしまった事と同じだ。大変気持ち悪い。
そもそも、ういろうがピンク色をしている時点で察知できなかった自分が不甲斐ない。
どうやら俺の妖怪アンテナならぬ虫アンテナは能力を失ったようだ。
あー、胃を洗浄したい気分。

2015/12/26 23:57 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

何を選ぶか?


SMAPの木村拓哉の、何かの選択で迷った時の絶対的な判断基準は常に
「どっちを選んだ方が格好いいか」
だという話を聞いた事がある。

今日、定食屋へ行った時、カレーか天丼かカツ丼か、どれを食べるかで迷ったがキムタク氏にならって「格好いい方」を選び、天丼をチョイスした。
なんとなく天丼の方がかっちょいい気がしたんだ。
自信はないが、天丼は「粋」って感じがしないだろうか。

その後スーパーに行き、様々なクリスマスケーキが店頭に並ぶなか、それらには目もくれずに俺は和菓子「ういろう」を購入した。これもなかなか渋いチョイスといえるだろう。


2015/12/25 23:02 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

浮気なぼくら


クリスマスセール中のスーパーは街と同様に多幸感にあふれ、行き交う人々は笑顔が多い。店内には陽気なクリスマスソングが流れ、店員はサンタの帽子をかぶらされている。さっそく惣菜コーナーへ足を運ぶ。
すでに20時を回っていたが、きらびやかな惣菜コーナーでは多くの客が思い思いにヨダレを垂らしながら物色しているように見えた。俺は人をかき分けた。ローストチキンを目指して。

とある一画に、たくさんのチキンが売られている。ローストチキンはどこだ。・・・・・・あった!
見たところ、国産をはじめタイ産やブラジル産などの様々な国のローストチキンが置いてある。クリスマスの為だけにいったい何羽の鶏が犠牲になっただろうか、そんな事は特に考えずに、俺は迷う事なく国産のもも肉ローストチキンを手に取った。こんがり照り焼きでとてつもなく美味しそう。後光が差して見えるくらいだ。まぶしい。

スーパーの帰り道、店でインプリンティングされたマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」を口ずさみながら、こう思った。
ローストチキンと一緒にどん兵衛も食べよう。クリスマスに独りでどん兵衛をすするのも悪くないはずだ。3日前にも食べた気もするけれど。


2015/12/24 23:52 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

さらりとした


どこに住んでも、ある程度の不満を覚えるが、ある程度の満足もする。

以前、自由が丘に住んでいた時、自由が丘の住人達の持っている、物価の高いお洒落な街に住んでいるんだぞという気取った優越感が鼻につく事が時折あった。
彼らは一見礼儀正しく穏やかで余裕があるようでも、「衣食足りて礼節を知る」というだけであって、内実は外聞を気にして見栄を張るドロドロとした虚栄心が渦巻いているように思う。
そういった人間にはなりたくない。

では露悪的な下町が良いかと言われれば、そうでもない。人間が生きているという感じがするが、時として人間が嫌になる事がある。
漱石は「とかくに人の世は住みにくい」と画家を山に向かわせたが、俺には山登りするほどの体力がない。

チョーヤ梅酒のようにさらりとした生活をしたいもんだ。

2015/12/23 21:33 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

夢とか現実とか


小学三年生の頃、友達と三人で下校していた。
話題はクリスマスが近いという事もあり、サンタクロースの話になった。
するとH君が鼻水を垂らしながらぽつりと呟いた。
「サンタクロースはおらんとばい」
俺とA君は、何を言い出すのか、夢のない奴だ、とH君をなじり、じゃあ誰がプレゼントを枕元に置いてるの? と問い詰めた。
するとH君はこう言った。
「お父さんが置いてるとこを見たけん」
俺とA君はH君の告白を決して信じなかった。
H君も自分の主張を変える事はなく、我々は平行線をたどった。
俺だって、どこかの国の太ったおじさんがトナカイに乗ってやってくるなんて、無条件に信じるほど純粋ではなかったが、それでも信じたいと思う気持ちが働いていた。
小学三年生というのは、そんな微妙な時期だと思う。
なじりになじられたH君の口を尖らせた顔を思い出す度、俺は心が少し痛くなる。

 ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ (吉本隆明「廃人の歌」)

さて、H君は真実を口にしたのか?

2015/12/22 00:11 |遠くへ行きたいCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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