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どれくらいの時間が流れたの、と彼らは言った


雨の季節だ。
もうすぐ佐賀に帰るので、個人的には、別れの季節でもある。
さまざまな別れがあり、中には、二度と会わないかもしれない人たちもいる。
会うは別れの始め、とはいうものの、やはり悲しいものだ。
それなりに感傷的にならざるを得ない。

そんなに付き合いのなかった人たちも、今生の別れとなると、どこか惜しくなる。
接し方が違えば、もしかすると違う側面を知ることが出来たかもしれない人たち。
エビとマヨネーズのように、もっと親しくなることが出来たかもしれない人たち。
あるいは、取っ組み合いの喧嘩をしたかもしれない人たち。
ひとつのパンを分け合い、得難いものを共有できたかもしれない人たち。
俺が嘘をつき、そして嘘をつかれたかもしれない人たち。

交錯の可能性は雨で流れるように消えていき、
彼らはもはや人生という物語の脇役としてクレジットされるのみである。
もちろん彼らからすれば、俺の方が脇役で、また脇役ですらないかもしれない。
そうやって人間は生きて、世界は回るのだろう。

結局のところ、人間は自律した孤独な生き物であるから、
自恃を抱えて、強く生きなくてはならない。
時に、グランマ号に乗ったゲバラのような勇敢な顔をして。
そうやって人間は生きて、世界は回るのだろう。




(引越しのばたばたでしばらくブログ更新が出来ませぬ。
 もしかしたらスマホから更新するかもしれないけれど。)

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2016/06/20 12:46 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

顔に辛子明太子


これは俺の数少ない九州男児的な気質のひとつだと思うのだけど、知り合いに数人、グルメな男がいて、彼らが食に対するうんちくを饒舌に語っているところを見ると、小ざかしいと感じる。「このなんじゃくもんがっ」と罵倒し、顔に辛子明太子を塗りたくってやりたくなる。

俺だって美味しいものが好きだ。大好きといえる。けれど、彼らの言動には、美味しい物が好きな自分が好きだという自己愛の心理が見え隠れして、食欲という根源的な欲求を知識でコントロールしようという動きがあって嫌だ。もっと味に対する感情をストレートに語って欲しい。
といってもこれは俺の気質、主観によるもので、絶対的な善悪の問題ではない。
そんな彼らを良しとする人もいるだろう。実際、グルメな男はオシャレで美味しいお店を多く知っているので女の子に好まれたりもするし、彼らについていくと美味しい物にありつける可能性は高い。しかし、グルメというのはややもするとスノッブに堕ちてしまうので気をつけるべきではないだろうか。

以前読んだ吉田戦車のエッセイで、雑誌『Hanako』で特集されたラーメン屋に行くという話があり、そこで著者は店に行く前に献血に寄っていた。それは、雑誌のグルメ情報を読んで店に足を運ぶ自分がちょっと嫌で、そんな自分への罰として血を抜くという理由からの献血だった。いかにも吉田戦車のエッセイらしいおかしい話だが、その心理は分からなくもないし、そんな吉田戦車は信頼できると九州男児の俺は思ってしまう。

たまに、ラーメン二郎(神田店)にばかり行くとか、ほっともっとののり弁を毎日食べるとか、焼き鳥は鳥皮しか食べないとか、1日に10本のジョージアを飲むとか、一種のパラノイア的な食生活を送る人たちがいるけれど、彼らは一般的にはグルメとはいえないのだろう(ある意味においてはグルメなのかもしれないが)。
しかし、何かを犠牲にして生きている感じがするし、純粋な食への内なる欲求を満たそうとする野生的なその姿は、不器用で潔くてかっこよくさえあると思う。あまりマネはできないけれど。

こういう話は、どうかすると「社会と自然」、「理性と本能」というテーマに発展できるのかもしれない。と、放り投げて、この文を終わりたい。


2016/06/19 03:00 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

夜中のシャドー


友人が分譲マンションを購入したというので、招かれて行ってきた。
雨がしとしとといやらしく降る中、駅から友人宅へ向かう途中、上品なマダムや可憐な女学生たちとすれ違い、高級車ばかりが目に付き、さすがの高級住宅街かな、と思いつつ、スマホに表示された地図を見ながら目的地へ向かうも一向に辿り着けない。一応、地図を見ながら歩いてるわけだけど……。(昔、『話を聞かない男、地図が読めない女』という本が流行ったが、あれはどんな内容だったか?)
情けないことに、俺の方向音痴は筋金入りだ。結局、右往左往ウロウロした挙句、友人に迎えに来てもらった。初めからそうしていれば、雨の中歩き回ることもなかったわけだ。

マンションに着いてエレベーターに乗る。エレベーターの中に張り紙が貼ってあった。「エレベーター内でシャドーボクシングをしないで下さい」という内容である。なんだか変な内容だが、想像すると、エレベーターに乗り合わせた人間が急にシャドーボクシングをやり出したら恐怖以外の何物でもない。密室には密室のマナーがある。優雅で平和そうな住宅街にも、恐怖は潜んでいるのだと感じた。

……

20160617040219279.jpg終電間際になり、友人宅を出て駅に向かう途中、雨が上がっていることに気づく。傘を友人宅に忘れたことにも気付いたけれど、終電が近いのであきらめた。エレベーターでシャドーボクシングマンと遭遇するのも怖い。それにしても、雨が止んでいて嬉しい。俺は雨が嫌いだ。
ウディ・アレンなんかは雨がけっこう好きなようで、作品の中で雨をよく降らせているし、雨の素晴らしさを度々語っていた。基本的にロマンチックな人なんだと思う。

相変わらず雨は嫌いだが、雨上がりの空気は嫌いじゃない。そうやって、徐々に雨が好きになっていくと、人生もずいぶん素敵なものになるだろう。そう思って俺は、虚空に向かってパンチを一発二発繰り出した。
シュッシュ!


2016/06/17 03:21 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

今でも時々フラッシュバックすること


十代の時の俺の移動手段は50ccスクーター、いわゆる原付だった。しかも父親のお下がりの、どんなに頑張ってもスピードが40キロぐらいしか出ないオンボロで、デザインも今考えると多感な時期の人間が乗って良いとは思えないかなりのカッコ悪さだった。車体の色は真っ赤だ。
それでも、俺はどこに行くのもこの原付にまたがり、佐賀中を颯爽と駆け回っていたのだ。デザインやスピードに不満はないと言えば嘘になるけれど、当時はバイトもしていなかった為、スクーターなんてとんでもない高級品だったので、甘んじて現状を受け入れていた。

そんなある日、俺は片側二車線の比較的交通量の多い国道を走っていた。原付に乗ったことのある人は分かると思うが、原付で大きな道路を走るとけっこう怖い。生身の自分が乗ったちっぽけなマシンのすぐそばを、排気量の大きな自動車がビュンビュンと抜いていくので、命の危険を感じる。ボロいスクーターならなおさらだ。

そんな恐怖を感じながらも、俺はのろのろと原付特有の鈍いスピードで家に帰るところだった。途中で、右折しなくてはならない交差点に来たので、俺は右折しようと車線変更した。これが少し急だったので、非常に危なっかしいこととなった。車線変更先のすぐ後ろには大型トラックが迫っていたのだ。パァーッ!! 大きなクラクションが鳴る。驚いて後ろを向くと、大型トラックの運転手のおっさんが鬼のような形相で、何やら怒鳴っている。俺の危険運転に対して憤っているのだ。俺は、こえ〜、と思い逃げるようにさっさと右折してスピードを上げた。

しかし、いくら走ってもクラクションが鳴り響いているのである。おかしいなと思いつつ、後ろを確認すると、その大型トラックが追いかけてきているのだった。クラクションをずっと鳴らしながら、運転手は相変わらず鬼の形相で怒鳴っている。やばい、めちゃめちゃ怒っている! とびびった俺は、フルスロットル! しかし、オンボロスクーターは亀のように遅い。はやる俺の気持ちとは裏腹にノロノロだ。途中何度か道を曲がったけれど、それでも大型トラックは俺の後ろをぴったしついてくる。俺はトラックの運転手に「仕事しろよ!」と言いたくなった。
想像するに、赤信号などで停まったが最後、運転手はトラックを降りて俺のところまでやってきて何かしらの暴力を振るうに違いない。それぐらいトラック全体が憤怒の様相を呈していた。恐ろしい。

そこで俺は機転を利かして、住宅地の狭い路地に入った。案の定、トラックは追ってこなかった。道幅が狭いので大型トラックは追ってこれないのだ。俺の勝利である。卑怯といえば卑怯だが、「卑怯もラッキョウもあるものか」というのは『ウルトラマンタロウ』におけるメフィラス星人の言葉である。俺は真っ赤な車体のオンボロスクーターとの結束をますます固めたのであった。

スピルバーグのデビュー作で『激突!』という映画があって、似たようなシチュエーションなのだけど、何かに追われるというのは根源的な恐怖だ。あれは最後は車が大爆発するんじゃなかったかな。そうならなくて良かったと思う。



2016/06/15 00:08 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

三匹のおじさん


昨夜は、テレ東の「美の巨人たち」とNHKの「ニッポン戦後サブカルチャー史III」を見る予定だったのだけど、晩飯の卵かけご飯を食べた後に猛烈な眠気に襲われて、そのままスヤスヤと(きっと天使のような寝顔で)寝てしまった。9時頃に寝て、2時頃に起きたのだから5時間ほど寝たことになる。個人的にはとても寝た。快眠といっても良い。炭水化物を多く取ったのが勝因じゃろか。

覚め際の夢は、巨大なカニに追われる奇怪なものだったが、変に複雑化していない単純な夢なので妙な後味はない。爽快感さえあった。あの巨大なカニはいったい何なのかと考えたのだが、きっとゲームの「モンスターハンター」に出てきた奴にインスパイアされたのだなと思い当たる。最近のモンハンはやっていないけれど、3年ぐらい前に発売されたバージョンはかなりやり込んだ。オンライン対応だったので、いつでも4人プレイが出来たし、友人もやっていたので競うようにして、まさに寝食を忘れたように没頭した。親指の指紋がなくなるかと思った。
モンハンは大人のプレイヤーも多いのだけど、昼間に接続すると子供プレイヤーの比率がかなり高い。雑談タイムに、子供はだいたい「みんな、なんさい?」とか言い出すので非常に居心地が悪かった記憶がある。

閑話休題、起きた後、近所のローソンに行った。奇跡的に週刊少年チャンピオンがまだ置いてあったので、「グラップラー刃牙」を読んだ。いや、今は「刃牙道」というタイトルだったかな。まぁ、いずれにせよ、最近の刃牙はあまり面白くない。惰性で読んでいるようなものだ。立ち読みの身分であまり偉そうに言えたものじゃないけれど。

立ち読み中、レジで男と店員が揉めており、大きな声が聞こえてくる。新聞の日付が古かったというようなことで怒っているようだ。店側の不手際かも知れないが、あそこまで激昂しなくても良いんじゃないか、と思う。レジの方を見ると、怒っている男もおじさんであれば、店員もおじさんだった。俺もまたおじさんである。しばらく終わりそうになかったので、何も買わずにその店を出た。「アイスの実」を食べたかったのだけど……。

2016/06/12 05:45 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

DAHON Speed P8

20160610050812981.jpg

今、持っている自転車はDAHON社のSpeed P8というアメリカ製の折り畳み自転車だ。会社の自転車好きに聞いたところ、これを薦められたので買ったのだ。俺は最初、折り畳み自転車というと車輪が小さいので漕ぐのが大変でせかせかとしたイメージがあったのだけど、その自転車好き曰く、DAHONの折り畳み自転車はギア比がどうのこうので、全くそんなことはなく、むしろそこらへんのチャリンコより遥かに楽にスピードが出るとのことだった。しかも折り畳み自転車は、「輪行」といって、専用の袋にさえ収納すれば電車にも持ち込んで良いらしく、それによって自転車とともに旅に出ることも可能なわけだ。それに普段乗ってない時は折り畳んで玄関に置いておけるので盗難に遭う可能性も低いぞ。という感じで、物凄い勢いで、この自転車を薦められた。まるでDAHONの営業マンかと錯覚しそうになったほどだった。

さっそく俺はネット通販で買った。値段は六万円ぐらいだったか。俺の基準としては自転車でこの値段は少々高いのだけど、同じDAHON社製の折り畳み自転車でも三十万ぐらいするものもあったので、割りと安い方のグレードなのかもしれない。スーパーにも行けるカジュアルなデザインでかっちょいい。色はマットブラックだ。

そして、乗ってみて俺は驚いた。軽い。軽い力で大きく前進する。まるで風になった気分である。ペダルを漕ぐ、自転車が前進する。単純な原理だろうが、それでいて恐ろしく奥の深い世界なのかもしれない。今まで乗ってきた自転車は何だったのだという気になる。これが彼が言っていたギア比というやつなのかは知らないが、大した力を使わずに速度が出るので、大変すばらしかった。新しい世界が開けた気がした。風になれるのだ。そう、DAHONのSpeed P8ならね。
(これを読んでるあなた、俺がDAHONの営業マンに見えてきたことでしょう。けれど、素人の俺には完全に納得の素晴らしいマシンなのです。マシーンなのです。)

俺はこれにまたがり、世間的圧力や社会的責任などの諸々を振り払い、自然と同化するのだった。


2016/06/10 05:16 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

丘の上の小屋はどこだ?

昔から、夢でたびたび見る或るイメージがある。
それはこんなものだ。

綺麗な緑の草が生えた丘があり、その丘の上には木造の小屋が建っている。
後景は雲ひとつない青空。さわやかな風が吹いている。
俺はふもとに立って緩やかな角度で小屋を見上げている。


そのイメージだけが、いつも目覚めた時に残っている。
前後のシーンはなく、従って小屋の中がどうなっているのかも知らないし、そこがどこなのかも分からない。もしかすると日本ではないのかもしれない。
ただ、俺は小屋に向かっている。その小屋に入った時、どうなるか分からない。
死ぬのかもしれない。そんな予感がうっすらとある。
しかし、決して暗澹とした夢ではない。むしろ暗澹とは対蹠的な位置にある晴れやかな夢だ。
小屋の中でにぎやかなパーティが開かれているということもあるだろう。そして、フランク・シナトラが歌っていたりするのだ。

そこがどこなのか分からないが、実際にそこに行ってみたい、そして小屋の中に入りたいという願望はある。けれど、探し回って能動的に見つけるというよりも、何か別のことでその場所に赴き、その場所に立つ直前までその夢のことを意識せずに、思いがけずその場所に立ち、突然に眼前の光景と夢の光景がオーバーラップするという状況、そういうことがいつか起きそうな気がしている。

(どういうわけだか“風景”というより“光景”といった方がしっくりくるのだけど、どうしてだろうね?)



2016/06/08 00:03 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

たけのこの先端、その感覚的なもの


昔、笑っていいとものテレフォンショッキングで、タレントだったか俳優だったか、それに性別さえ記憶がおぼろげなんだけど、そのゲストが話すことには、たけのこの先端の部分には、にょきにょきと竹が伸長する、後の成長分の大きなエネルギーが潜在的に含まれているので、とてつもない栄養分があるとのことだった。

俺はその話の科学的根拠を知らないし、本当なのか嘘なのか知らないが、感覚的に、なんとなく感覚的に納得してしまった。タモリはその話を真面目に聞いていない風だったし、胡散臭い感じは十分にあった。けれど、あのたけのこの先端部分の、おいしさ、柔らかさ、緻密さに大きな可能性、ポテンシャルを確かに感じないだろうか。俺はこの直覚を支持したい。

そんなわけで、桃屋に「やわらぎ」という穂先だけを集めてメンマにした素晴らしい商品があるけれど、あれなんかを食べると、まるでほうれんそうを食べたポパイのように、力がみなぎってくる気がするのは、思い込みのなせる技かもしれない。しかし、そういう感覚的なものも大事にしていきたいと思う。なんでもかんでも数字で割り切ってしまうのもつまらないものだ。
(単純にたけのこの先端が美味しくて好きだというだけという話もある……。)


2016/06/05 02:43 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

天使たちのシーン


金色の穂をつけた枯れゆく草が 風の中で吹き飛ばされるのを待ってる
真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン 遠い町の物語話してる

太陽が次第に近づいて来てる 横向いて喋りまくる僕たちとか
甲高い声で笑いはじめる彼女の ネッカチーフの鮮やかな朱い色

小沢健二の「天使たちのシーン」という曲。
こんなに美しい歌詞を俺は他に知ら……いや、いくつかは知っているけれど、あまり知らない。

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

俺には神様がいるかどうかなんて分からないけれど。たまにはなぁ。


ところで、「おっとっと」ってお菓子があるけれど、あれは中が空洞で外側だけがあって……。
“虚無”を食ってるって感じがしない? え、しないって?


2016/06/02 03:15 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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