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夜の砂漠の中心で語ること


ポケモンGOのことばかり書いて、このブログがポケモンブログみたいになるのは不本意なので、違うことを書こう。

夜の話だ。
身体に悪いのだろうとは思いつつ、寝付けない時には冷房の温度を24度にする。
そうすると、夏のまとわりつくようなねっとりした空気が取り払われる。
粘液的な生活からの一時の分断が行われる。

夜の砂漠。
俺は夜の砂漠が暑いのか寒いのか知らないし、それは地域や天候によっても変化するのかもしれないが、例えば24度に設定した部屋がそのように感じるときがある。
乾ききった部屋の中で電気を消して目を瞑ると、天井には数多の星が光り、背中には砂の熱を感じ、耳の近くでトカゲが動く音が聞こえ、甲虫がシーツより這い上がる。そんなイメージが湧き上がる。

冷房は、睡眠を目的とせず、快適を意図しない。
そこにあるのは茫漠とした意識と夜の砂漠の適合だ。
そうやって、鼻水をすすりながら、死んだ友人たちのことを思い出す。
彼らは遠い地平の彼方から、ゆっくりと現れるだろう。
やがて俺は語りかけるだろう。
「この世界はちょっと厳密すぎるんじゃないのか? そっちの世界は?」

そして、ポケモンGOで雑魚モンスターばかりが出現することを愚痴るのだ。
ポッポ、コラッタ、ドードー、ビードル……。
モンスターボールは残り少ないが、それでも捕まえずにはいられない。
ポケモンGOのことを話さずにはいられない。


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2016/07/26 21:47 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

遠足は当日よりも前日の夜がいちばん楽しいのだろうか、という経験の手触り(あるいはポケモンGOのもたらすもの)


時間は午後八時。俺は意気揚々とイオンモールに乗り込んだ。
そう、ポケモンGOに興じる為に。
マップを確認したところ、ポケストップは建物の両端に二箇所ずつあるようだった。都会ならいざ知らず、田舎ではアイテムを貰えるポケストップは貴重な存在だ。茶碗蒸しに入ったたったひとつの銀杏のように貴重だ。中華丼に入ったたったひとつのうずらの卵のように貴重だ。

ポケストップは一度アイテムを貰っても五分経過すれば再び貰えるので、イオンの端に行ってアイテムを貰い、今度は反対側に行ってアイテムを貰って、そうすると最初に貰った反対側のポケストップは復活してるので、またそこへ行って、そうすると反対側が復活しているので、という感じでイオンモール内を何度も往復した。三十六の男がスマホ片手に、イオン内を西へ東へと、お尻をプリプリと振りながら歩き回ったのだった。若さみなぎる行動力といえる。そんな俺はさぞかし探検家バスコ・ダ・ガマのように精悍な顔をしていたんではないだろうか。

これで永遠にアイテムが貰える。そんな気がしていた。しかしそれは幻想だった。やがて羞恥心というものが芽生え、みるみるうちに膨れ上がってきた。ポケモンGOをしているのが他の客や店員に挙動でバレバレなのだ。俺と同じようにポケモンGOをプレイしているであろう人たちもいたけれど、大抵は若者だったのがさらに羞恥心を強くする。はずかちい。
日本の文化は「恥の文化」だと言った文化人類学者がかつていたようだけど、そういう意味でも、俺の感覚的にもポケモンGOは日本ではアメリカほどは流行らないんじゃないかいう気もする。

正直に言うと、ポケモンGOに対する高揚感は配信開始を待っている時が絶頂だったかもしれない。(まだプレイしていないのにも関わらず、ワクワクするあまり、スマホのモバイルバッテリーをAmazonで購入してしまったのはここだけの話だ。)
実際プレイしてみて、まぁほぼ想像通りのゲームではあったのだけど、なんだかダウンロードして少し遊んだだけで満足してしまった部分も多い。まだ配信されて間もないので交換も対戦も実装されておらず、やることが少ないのだ。特に家の中にいる間は全くというほどやることがない。これはインドア派の人間にとっては大きな問題だ。今後のアップデートに大いに期待したい。そもそもインドア派の人間はポケモンGOをやるべきではないという意見もあるけれど。

と、少し否定的なことを書いてしまったけれど、俺は明日もやるだろう。歩くだろう。恥ずかしがるだろう。そして、まだ見ぬモンスターに想いを馳せるのだ。



2016/07/23 04:13 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

ハードボイルドに綴るラーメン日記


そのラーメン屋は食べログなどを見る限り、なかなかの人気店のようだった。人気ということはきっと美味しいのだろう。そう思って行くことに決めた。

俺はラーメン屋で並ぶという行為がとても苦手なので、開店時間の11時、その10分前に駐車場に車を停め、車の中で開店を待った。ラーメン屋にしては広いその駐車場には、俺の他に、おそらく店員の車と思われるものが数台、店から遠い端っこに停められているだけだった。どうやら俺以外の客はいないようだ。しめしめ、一番風呂ならぬ一番ラーメンは俺がいただくことになりそうだ。俺はジャン=ポール・ベルモンドのようにニヤリと笑った。

そうしていると、開店の5分位前に一台の軽のワゴン車が俺の隣に停まった。運転しているのはおばさんで、助手席や後部座席には、どうやら子供が5、6人乗っている雰囲気だった。おいおい、乗車人数オーバーじゃないのか。その車内は人口密度がかなり高く、サザエさんのエンディングで一家を飲み込んだハウスのように、ワゴン車自体が踊りだしそうだった。小さな頭が車内で活発に蠢いている。

彼女たちに一番ラーメンを取られてしまっては困る、と思い、俺は彼女たちに対してかすかな敵愾心が芽生えつつあるのを感じた。俺はジャッキー・チェンのような軽い身のこなしで車を降りた。外は暑かった。午前中だというのに30度は余裕で超えているだろう。暑い中、客が待っているのだから、少しぐらい開店時間を早くしてもいいんじゃないかと思ったが、ルールはルールということなんだろう、11時きっかりに店員が出てきて暖簾を玄関口に設置しだした。駐車場を振り返ると、軽ワゴン車のならず者集団はようやく車から出てきているところだった。一番ラーメンは俺がいただくこととなったな! と俺は心の中で快哉を叫んだ。

さっそく食券機でラーメンを買う。値段は一杯350円という驚きの安さである。店員に食券を渡すと麺の硬さを聞かれたので、「アルデンテ」と答えた。いや、「かためん」と普通に答えたのだったか。着座してラーメンが出てくるのを待つ間、セルフサービスで取り放題の辛子高菜を小皿に山盛りに取って、一口つまんでみる。これがべらぼうに辛く、咳き込むほどだった。これはラーメンで薄めながら(?)食べるものなんだなと思った。

そうこうしているうちにラーメンはやってきた。スープはもちろん豚骨で、麺はストレートの細麺だ。カテゴリーとしては、久留米ラーメンというやつらしい。俺はラーメンに限らず、料理を語る術を知らないが、美味しかった。替え玉をして、そのタイミングで辛子高菜をラーメンに投入した。味変ってやつだ。これも美味しい。この店に来て正解だったと思った。

ラーメンを食べ終わり、小皿に残った山盛りの辛子高菜をどうしようかと迷ったが、残すのも悪いので、意を決して一気に食べた。あまりの辛さに鼻水と涙が出てきた。
ふと店内を見渡すと、開店後間もないというのにテーブル席は全て埋まっており、この店の人気の高さが伺える。奥の小上がりを見ると、例の軽ワゴン車の一家が一心不乱にラーメンをすすっていた。腹が満たされたからか、彼女たちに対する敵愾心はなくなっていた。

店を出ると、灼熱の太陽がアスファルトを熱し、むわっとした空気が鼻孔を衝いた。視界がぼやけているのはなにも辛子高菜が辛かったからではあるまい。今年の夏は暑くなるぞ、と俺はつぶやき、アル・パチーノのようにぼんやりと遠くを見つめた。



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店名:ふくの家 愛敬店
住所:佐賀県佐賀市愛敬町11-20(JR佐賀駅より徒歩5分)

2016/07/20 02:22 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

SF日和


▪️ゲームセンターでゲット。

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「スターウォーズ フォースの覚醒」に出てくるキャプテン・ファズマのフィギュア。
全世界のスターウォーズファンの期待に反して、映画の中では、ほとんど活躍しなかった彼女。活躍どころか情けない姿が印象的だった。次作以降も出演は決まっているらしいので、今後の仕事ぶりに注目したい。

▪️部屋にあった映画『ブレードランナー』のDVDを鑑賞。
『ブレードランナー』って、通常盤とかディレクターズカットとかファイナルカットとか、色んなバージョンがあるけれど、どれがいいんだろうね? 映画というのは製作に多くの資金が必要だから、監督以外の思惑が作品に介入してしまいがちで、そういうことになってしまう。「監督自身は納得していない作品」が即ち、悪ということにはならないと思うけれど。

こういうのは映画に限ったことではなくて、マーク・トウェインの遺作『不思議な少年』という小説は、広く普及している版はトウェインの死後に当時の編集者が勝手に二つの草稿を組み合わせたものだ。だから、トウェインの意図した作品にはなっていないのかもしれないが、読んでみると、この版も意外と悪くなかったりするから不思議だ。

ベンヤミンは「永遠の価値の産出を志向する芸術を作ったギリシア人にとっては、改良の可能性のいちばん少ない芸術である彫刻が、諸芸術の頂点に位置していた。」と書いている。
いわゆる「完全版」とか「ディレクターズカット」とか聞くと、新しいシーンを見ることが出来たりして嬉しいという気持ちもある一方でどこか釈然としない違和感を覚えたりするけれども、それは古代ギリシア人的感覚なのかもしれない。

▪️あとは、図書館で借りた筒井康隆の短編集を読んだりして、けっこうSFづくしな一日だったといえる。

▪️今、夜中の三時だが、スナック菓子の「スコーン」を食べてしまって、気持ち悪い。これはSFとなんの関係もない。



2016/07/18 03:30 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

三十六歳、ポケモンにワクワクする

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ワクワクしている。
何に対してかというとそれは、スマホゲームの『ポケモンGO』にである。
そう、あのポケットモンスターのスマホ版だ。それに三十六のおっさんがワクワクするのもちょっとどうかと思わないでもないが、事実なのだから仕方がない。

このゲームは、現実の地図情報とゲームが連動するもので、プレイヤーが実際に色んな場所に足を運んでモンスターをゲットするシステムらしい。モンスターを捕まえるモンスターボールやその他のアイテムをも特定の場所で手に入るようだ。
日本ではまだ配信されておらず、まずアメリカとオーストラリアとニュージーランドで先行配信され、そして昨日ドイツでも遊べるようになったばかり。

先行配信された国ではかなりの数がダウンロードされており、ダウンロードランキングで一位になったり、アプリの利用率がTwitterに迫る勢いということで、それを裏付けるように様々なニュースが入ってくる。
アメリカの女性が水ポケモンを捕まえようと川辺に行ったら本物の溺死体を発見したり、プレイヤーがホワイトハウスに侵入しようとしたり、真夜中にモンスターを探していた黒人二人が麻薬密売人と間違われたり、ニュージーランドでは暴走族のアジトにポケモンが発生してみんな困っていたり、引きこもりが家を出たり、任天堂の株価がすごいことになってたり……。

俺は死体も見つけたくないし、職務質問もされたくはないのだが、そういうニュースが続々と出るということは、それだけプレイしているユーザーが多いのだろうし、熱中しているのだろう。これはちょっと期待せざるを得ない。

しかし、不安な点もいくつかある。
俺の住んでいる所は田舎だからポケモン出没やアイテムを貰えるスポットが少ないんじゃないかという懸念。
そして、ポケモンの卵を孵化させるのに時速10キロ以下の速度で10キロ以上の距離を移動しなければならないらしい。つまり散歩やジョギングをする必要があるということなのだろう? なんだか面倒くさそうではあるが、今はそれさえも「面白そう」と思ってしまうから不思議だ。

といっても、俺はポケモン世代ではない。初代をかろうじてやったことあるくらいだ。もう20年位前だろう。その時は、周囲でプレイしている者は一人もおらず、ポケモンの醍醐味である交換や対戦を全くやらず、一人で黙々とモンスターを集めた。さびしい記憶である。だから、あまりモンスターの種類も知らないし、はっきりいってポケモンにそこまで思い入れはない。

そんな俺が『ポケモンGO』に惹きつけられるのは、AR(現実拡張)というテクノロジーにほぼ触れたことないということもあるのだろう。『ポケモンGO』に付随する数々のニュースは新しいテクノロジーに触れる楽しみ、期待感を持たせてくれる。もちろん、思いっきり期待はずれになる可能性もある。わりとその可能性は大きいと思う。歩きスマホにも十分に気をつけなければならないし、俺は極度の飽き性なので三日で飽きるということもあるだろう。

それでも、そういったもの込みで思いっきり期待感を膨らませてあげようと思うのだ。
俺は今、子供の頃ゲームに対して感じたワクワクを久しぶりに感じているように思う。


2016/07/14 08:02 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

ペシミストとエピキュリアン


精神分析学者のフロイトは晩年、癌によって上顎のほとんどを失い、人工の顎を着けていたというけれど、それはかなりの不便を伴うものだったに違いない。彼はあるインタビュアーに「決して私をペシミストと書かないでくれ」と言ったらしいけれど、その言葉がすでにペシミズム的ではないだろうか。

対し、エピキュリアンを自認していた澁沢龍彦は晩年、喉頭癌のため、喉に穴をぽっかりと空けることになる。穴に水や異物なんかが入ってしまえばそれで終わりなのだけど、客人に穴を見せ、さまざまな反応を見て楽しんでいた。観念的世界に生きた彼だからこそ、そういうことが出来るのだろうか。

2016/07/14 00:06 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

雨のよく降るこの星では


自分のことは自分でもよくわからないものだ、というのはよく言われることであり、実際そうなのだと思う。
例えば、俺はタマネギの食感が苦手なので、そのせいでナポリタンや酢豚やちゃんぽんやカルパッチョなどがあまり好きではないのだけど、牛丼は好んで食べる。けれど、牛丼のタマネギとその他のタマネギを分け隔てる分水嶺が何なのかは自分でもいまだに分からない。煮込んでいるからかとも思ったが、煮込んでいても苦手なものは苦手だ。味覚にも何かしらの無意識が働いているのかもしれない。
(じゃあハンバーグのタマネギはどうなんだ、と問われれば、あれはみじん切りになっているから良かったりする。ミートソース然り。ドライカレー然り。)

まぁ、どうでもいいことではあるのだけど……。
しかし、そんなどうでもいいことの集積が「生活」である、とも言えるのだから、案外馬鹿にはできない事柄だったりするのだろう。ご飯を食べて笑顔になるというささいなことが、どれだけ人(ないし自分を)を幸せにしたりするだろうか。そんなことを考えてみる。

俺は、ドトールのミラノサンドのことを考えるだけでニヤニヤしてしまう。
別に食べ物じゃなくてもよくて、好きな映画のことを考えたり、好きな音楽を聞いたり、近しい人と電話するとか、干したばっかりのふかふかの布団で寝るとか、中身を見ずに本を買うとか、そんなささいなことで心が救われるということがあるだろう?
そういうのはかなり大事なことだ。
ささいなことで怒るのが人間ならば、ささいなことで笑うのも人間だろう。
この世界では常に何かを喪失し、何かを獲得する。それが繰り返される。

そんなことを考えながら、俺は朝の五時にどん兵衛をすする。
外はいま雨が降っている。地面は雨を吸収して濡れているだろう。


2016/07/11 05:25 |雑記COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

紳士であれよ


実はさっきのハンバーグの記事は、下ネタで終わっていたのだけど、ちょっと下品かなと思って、その部分をばっさり削った。そうすると、アップロードを躊躇うような、なんだか宙ぶらりんな文章になってしまった。
削って良かったのか、それとも残したほうが良かったのか、どちらが正解なのか俺には分からない。
しかし、下ネタに支えられる文章というのも、詰まるところ、その程度のものなのだから、どっちでもいいということなのだろう。

それにしても、昨夜カレーパンを食べたせいで胃が重い。
夏の夜は人を狂わせる。


2016/07/09 06:49 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ピンクの店


強雨の降る中、近所の定食屋に行った。定食屋といっても、そこは定食はハンバーグ定食しかなく、その他にはサイドメニューがいくつかあるだけだった。なので、ハンバーグ屋といった方が正しいのかもしれない。ハンバーグオンリーというのは、ハンバーグに対する並々ならぬ自信の表れだろう。

国道沿いにあるこの店は、一見プレハブのような素っ気無い外観をしており、看板や建物やメニューは飲食店には珍しい妖しげなピンクを基調にしている。全体的に年季の入った感じで、一言でいえば「ボロい」ということになる。それに店内は、ハンバーグの湯気なのか(鉄板で運ばれる)、煙草なのか、なんだか煙たそうだ。ちょっと容易には中に入れないような雰囲気はあった。けれど、腹がペッコリだったので入った。

美味しかった。実はこの店に来るのは二度目で、十五年ほど前に友人と来たことがあって、その時を思い出すと「美味しかったような気がする」という、けっこう漠然とした記憶しかなかったのだけど、案外記憶というものも馬鹿にできない。しっかり美味しかった。そもそもこの店に入ろうとふと思ったのは、蟻が一粒の砂糖を嗅覚で嗅ぎ当てるように、その微かな記憶を手繰り寄せるようなものではなかったか。
ハンバーグはかなり柔らかく、ソースはいわゆるジャポネソースというものだと思う。けっこう味が濃いので、どちらかというと男性向きかもしれない。

と、思いきや、隣のテーブルには二十代位の女性三人組が座っていた。ハンバーグがテーブルに着た直後、三人ともおもむろに一眼レフカメラを取り出して、写真を撮っていた。きっとブログにでもアップするのだろう。
こんなさびれた店(でも美味しい)にも、ブログ女子は現れるのだなと思った。この店は意外と有名店なのかもしれないとも思った。



2016/07/09 05:57 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

戦いのはじまり


ベッドに仰向けに寝っころがり、のんべんだらりとiPadの画面を見ていたら、視界の片隅でなにかが動いた。その方に焦点を合わせると、それは人間にもっとも嫌悪されているといっても過言ではない虫、黒光りする奴が壁にいるのだった。戦慄が走る。

久しぶりに見る奴は、なんだか肉厚で立体感がすごかった。
その立体感は人間で例えるならば“おすぎ”のようだった。俺は奴らの種類・生態について、詳しいことを知らないけれど(知りたいとも思わない)、佐賀の肥沃な土壌がそのような個体を発生させるのかもしれない。「おそろしい場所に帰ってきてしまった」、そんな気がした。

結局、逃してしまった。駆除スプレーは手元になかったし、新聞紙やスリッパなどの原始武器を使うほど俺はワイルドではないし、夜中だったので家族を起こすわけにもいかず、階下でスプレーを探すも徒労に終わり、部屋に戻ったらいなくなっていた。

まさかこんなに早く奴との邂逅を果たすとは思わなかった。家の各所の隅にホイホイが置いてあったので、なんとなく嫌な予感はしていたのだけど、こんなに早く出会うとはね。ホイホイのような旧弊なアイテムの使用を採択したのはおそらく父親だろう。

俺はホイホイが苦手だ。見るたびにあの小さな頼りない紙製の箱の中でうごめいている無数の奴らを想像してしまうし、捨てる時はそれにかなり接近することになるので、精神的ダメージが大きい。もし万が一、なにかの拍子に踏みつけてしまったらと考えると背筋が凍る。

それにしても逃してしまったのは悔やまれる。うまくホイホイにかかってくれれば良いのだけど。
そういえば、都市伝説で「寝ている人間の口に入り込んで水分補給をしている」というのがあるけれど、本当だろうか? 普通に考えればあり得ないが、どうかするとやりかねない薄気味悪さが奴らにはあると思う。



2016/07/05 20:19 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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