Space Oddity


近年の宇宙科学の発展はめざましい。
コンビニでダークマターが買えるなんて。

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2016/09/30 00:38 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

マンダリンの楼上


近頃、くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」ばかり聞いている。
そうするともうほとんど寝てしまうんだ。






2016/09/23 00:13 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

1%の道


自分が楽観主義者か悲観主義者か、タイプ分けすることに意味があるかどうか分からないけれど、俺はどちらかというと楽観主義的な性質を多く持っていると思う。しかし、自らの体に関しては別だ。体調が悪いと色々と最悪のケースを考えて憂鬱になる。そして、死刑宣告を受けるだろうという予感と覚悟を持って、いつも病院に臨む。ただの風邪でも。先日のぎっくり腰のときもそうだった。ただのぎっくり腰なのに!

汚い話で申し訳ないが、ここ二週間ほど下痢が続いている。二週間はさすがに長い、こんなことは初めてだ。異常だろうと思って、病院に行くことにした。この時にも俺は俺の悲観主義的性質を大いに発揮した。きっと大腸がんかなんかの診断を受けるだろう、という予感めいたものがあり、それも末期で即入院ということになったらどうするか、余命を通達されたらどうするか、ということまで考えていた。(先日観た『ダラス・バイヤーズクラブ』の影響もあるかもしれない。)


診断の結果、過敏性腸症候群だと言われた。要はストレスから来る下痢だった。医者が言うにはストレスといっても心理的なものだけでなく、食べ過ぎや消化不良による胃腸などの不調も身体に対する一つのストレスと考えてよいということだった。
俺の原因が、心理的なものか肉体的なものか分からないが、いずれにせよ、大病でなくて良かった。いわゆる致命的な……。つまり杞憂に終わったわけであるけれど、病院に行く前にあれこれ考えてしまい無駄に不安になるのはもちろん精神衛生上良いはずはなく、損な性格だと痛感している。

しかし、結果的に大事でなかっただけで、可能性を考えると、大病の可能性も多分にあったはずだ。もしかするとそれは蓋を開けると99%に近い確率であって、俺はたまたま1%の「無事」の道を通っているに過ぎないのかもしれない。そうやって幾度も奇跡的に悲劇や事故を回避してきただけに過ぎないのかもしれない。人間は死ぬその日まで地雷原を歩き続ける。

それは別に病気に限ったことではなくて、例えば、階段を降りることの一つを取ってみてもそうだ。今朝、階段を踏み外して後頭部を強打し、今はもう死んでしまっているという世界線もあるのだろう。例えば、UFOに拉致されて高度の文明を持つエイリアンに愚か者の見本として標本化されてしまっているという世界もあるかもしれない。そう考えると、今生きていることがとてつもないことに思えてくる。生とはそんな危ういものの上に成り立っているものなのではないか。



2016/09/14 23:28 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ぼくがパソコンを嫌いになる理由


昔、世の中のネット回線がアナログで貧弱だった頃、ちょっとしたデータをダウンロードするのにも時間がかかり大変だったので、最新のフリーソフト集やゲームの体験版や壁紙集が収録されたCD-ROMを付録とした雑誌が毎月いくつも発売されていた。
そういう雑誌は大抵、後半部にエロ系のコンテンツが収録されていたりして、むしろそっちを目的に購入していた人も多かったんじゃないだろうか。表紙はエロを微塵も感じさせず、巧妙にカモフラージュされていた。

今ではちょっと考えられないのが、その付録CDに当時の売れっ子アイドルの広末涼子とか深田恭子とかのアイコラが堂々と収録されていたことだ。そんなのがコンビニで平然と売られていた。20年位前の話。
べ、べつに俺はそれを目的に買っていたわけじゃあないけれど……。

思えば、当時の俺のパソコンへの情熱は多大なるものがあった。DOS/V POWER REPORT (ドスブイパワーレポート)という、CPUやメモリやマザーボードなどのパーツの情報をメインとしたずいぶんと硬派なパソコン雑誌を購読していたし、当時はまだマニアにしか浸透していなかったパソコン自作にも挑戦し、コンピューターの国家資格も取った。
しかし、そんなパソコンへの情熱は失われて久しい。むしろ今では、パソコンが嫌いなくらいだ。パソコンと対峙すると物凄い勢いで疲弊していくのが分かる。仕事では仕方ないが、プライベートだとほとんどいじる気が起きない。

では、現在メールチェックやサイト閲覧やブログなどどうしているかというと、全てiPadで済ましている。パソコンと違い、あまり疲れない。パソコンは疲れる。なぜかと考えると、単純にいえば「仕事で使うようになったから」ということになるのだろうが、しかし今や仕事以外でパソコンを使うときも非常に体力を削がれる。それはパソコンの前に座りモニターを覗き、キーボードを叩くという構図が少し儀式めいており、そこだけ日常から乖離しているからなのではないかと思う。

iPadにはそんな儀式性がない。ソファーに座りながらや寝っ転がりながら使えるし、起動も恐ろしく速い。構えることなく、電子の世界にスムーズに意識がシフトできる。コンピューターを使っているという感覚が希薄なのだ。なんならうんこしながらも使える。それがAppleのUIの優れているところであり、スティーブ・ジョブズの凄さということになるのかな。


2016/09/09 20:11 |雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

食玩にあるまじき値段


STAR WARS CONVERGE VEHICLE X-wing

食玩で2800円。
大きいのかと思ったら、全高55mmと小さい。
ラムネが一つ付いているから、あくまで食玩扱い。
スーパーやコンビニでおもちゃに2800円はちょっと躊躇う。
それでもコレクターは買うのだろうね。
子供に「お菓子一個買ってあげるから持っておいで」と言って、
これを持ってこられたら目玉が飛び出て、俺の顔はシンプソンズのキャラクターみたいになるだろう。


2016/09/04 22:41 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

ありのまま今起こった事を話すぜ!


ユーモアと狂気に満ちたジョーゼフ・ヘラーの傑作戦争小説『キャッチ=22』(1961)は、マイク・ニコルズが映画化しているのだが、これまた傑作で、DVDを持っているのだけど、久しぶりに観ようかと思って、DVDのパッケージを開けたら、どういうわけだかディスクが

『世界の車窓からDVD 蒸気機関車と大自然の旅』

に入れ替わっていて、ひどく脱力した。これは何者のしわざだろうか? 石丸謙二郎のしわざかな?

そもそもどうして俺は『世界の車窓から』のDVDを購入したのか。
俺は鉄道が好きでもなければ、大自然に特別興味があるわけでもない。ブックオフでこのDVDを買ったのはなんとなく覚えてはいるが、その時の精神状態がどうだったのかは今となっては分からない。仕事で疲れていたのかもしれないという推測はできるのだけど、過去の自分は近くて遠い他人だ。

乗車客、あるいは『世界の車窓から』のスタッフに自らを仮託して、異国という非日常に手っ取り早く身を置きたいという欲望があったとして、果たしてそれが達成されたのかどうか、それさえも記憶にない。おそらくそれは失敗に終わったのではないだろうか。テレビとはそういうものだという侮りが俺の中にある。いや、『世界の車窓から』は良い番組だと思うけれど。

少し唐突なことを言わせて貰えば、目の前に分かりやすい単純な物語と分かりづらい複雑な物語があれば、俺は後者に与したいと思う。我々はしばしば物事を単純な物語に落し込みがちだが、この世界は複雑で不合理で不条理で多義的で、おおよそ簡単には理解できないことも多い。それが良いことなのか悪いことなのか、俺には分からないが。


2016/09/02 21:17 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ないものねだり


ステファヌ・マラルメの「世界は一冊の書物に至るために作られている」ではないけれど、その一冊だけで他の本はいらないというような究極の一冊というものは、あるのかもしれないし、ないのかもしれない。ただ、心のどこかではそんな一冊を見つける為に、読書を続けているのではないのだろうかと思う時がある。
しかしその一方で、やはりそんな一冊は存在し得ないのではないかという気がするのだけど。

それは人によって違うだろう。ある人にとっては『聖書』で、ある人にとっては『カラマーゾフの兄弟』で、ある人にとっては『魔の山』で、ある人にとっては『イリュミナシオン』で、ある人にとっては『純粋理性批判』で、ある人にとっては『緋色の研究』で、ある人にとっては『カーマスートラ』で、ある人にとっては『コボちゃん』だっていうこともあるだろう。

無理に一冊に絞ることもないのだけれど、我々に与えられたポケットの数は限られているので、あれもこれも持ち歩くことはできないわけだ。この世に途方もないほどの無数の書物が存在する以上、そういった一冊に出会えた人間は相当に幸福な人間だといえるんじゃないか。


書物ではなくゲームソフトの場合を考える。
現時点で存在するのか知らないし、未来のことかもしれないが、それは書物よりもかなり高い確率で存在し得るのではないかという感覚がある。
究極のゲーム。それは多分、永遠に飽きることのないという要素も必要だろう。
そう考えると、やはり無理だろうかという気にもなってくるが、過去に「これは永久に飽きないんじゃないか」という瞬間を得られたソフトはいくつかあった。例えば、『シヴィライゼーション』。例えば、『パワフルプロ野球』。例えば、『風来のシレン』。例えば、『ネオ・アトラス』。結局のところ、それは錯覚に過ぎず、いずれプレイすることはなくなったのだけど。

要するに、書物にしたってゲームにしたって何にしたって、俺は「永遠」が欲しいのだろう。



2016/08/31 04:18 |雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

リバーブの効いた笑い声


おかしいと思っていた。
先週の月曜日に痛めた腰がほとんど治らない。前回ぎっくり腰になった時は、痛さのピークは3日ぐらいで過ぎて、それを境に急速に回復していった記憶がある。今回は違う。いつまで経っても治らない。寝ても寝ても治らない。前回のごとく寝て朝起きたら驚くべき回復をしているのだろうと思いながら、何も変わらず日々が過ぎていった。夏も終わりそうだ。そんなこんなで一週間である。もちろん、一週間の間、ずっと安静にしているし、外出も一回もしていないし、ヒゲさえ剃っていない。外の空気を吸う、という当たり前のことができないのは思いの外気分を滅入らせる。

問題は、ずっと休んでいるほど世の中は甘くないということだ。それにいっこうに回復の兆しがないのはただのぎっくり腰じゃない可能性がある。例えば、椎間板ヘルニア。ネットで症状を調べれば調べるほどその可能性が高いような気がしてきた。となると、手術だろうか、それは切開だろう、入院もしなくちゃならないだろう、費用はいくらなんだ、と様々なネガティブな思考がぐるぐると頭を駆け巡る。とにもかくにも、俺は文字通り「重い腰」を上げて、暗澹たる気持ちで病院に向かった。


以下、医者とのやりとり。

「痛みとしては去年なったぎっくり腰と同じ感じで……」

(レントゲンを見ながら)「はい、今回もぎっくり腰ですね!」

「あ、そうですか(安堵)。ヘルニアとかじゃないんですね?」

「ぎっくり腰です。ヘルニアだったら足なども痛くなるし、歩けないよ! ガハハハ!」


医者の患者を見下したようなリバーブの効いた笑い声が今も頭に残る。こんにゃろー。
患者の無知や不安を忖度できない医者というのはどうかと思うね。
いずれにせよ、ただのぎっくり腰で良かったけれど。



2016/08/29 21:19 |雑記COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

ぎっくり腰ふたたび(ハーゲンのダッツ)


人生初のぎっくり腰になったのは、去年の10月だっただろうか。
ぎっくり腰というのは再発性が高く、1年以内に再発するパターンがかなり多いらしい。
そんなことを知って、俺はいつ襲ってくるか分からないぎっくり腰に怯える日々を過ごしていたわけだけど、一昨日、冷蔵庫の一番下のドアを開けてアイスを取ろうとした時に、腰におそろしい電撃が走った。咄嗟に「あぁ、これはまたやってしまったな」と思った。柄にもなくハーゲンダッツを食べようとした俺に罰が下されたのかもしれない。

そんなわけで、ぎっくり腰になって二日目である。トイレ以外はずっとベッドで横になっている。無論、風呂も歯磨きも出来ていない。ついでに風邪も引いてしまって、ダルく、鼻水が出るし喉も痛い。ぎっくり腰と風邪の合わせ技。これがなかなか厄介で、くしゃみや咳をすると同時に腰に激しい電撃が駆け巡る。俺は何度もピカチュウの幻影を見た。

ヨーロッパの一部ではぎっくり腰のことを「魔女の一撃」ともいうそうだ。なかなか上手いことをいったものだと思う。不穏な力を纏った禍々しい魔女が、渾身の一撃を俺の腰に食らわし、腰痛のみならず風邪の諸症状をも俺にもたらしたと考えれば、我が身に振りかかる災厄も魔女の超自然的な悪意のなせる技として諦めがつきそうな気がする。そんなワケない。


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2016/08/24 00:16 |雑記COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

たこ焼きの蜃気楼


ふと、たこ焼きが食べたくなった。
どうせ食べるなら美味しいものを食べようと思い、「佐賀県 たこ焼き」で検索したら、食べログのランキングが出てきて、その第1位が比較的近所のスーパーマーケットの入り口に店を構えているたこ焼き屋だった。灯台下暗しとはこのことか。

俺は別に食べログ至上主義ではないけれど、全く当てにしていないわけでもない。今日の気温は37度という鬼のような暑さで、そんな日にわざわざアツアツのたこ焼きを食べるのも一興だろう。そう思って、さっそく買いに行った。自慢の軽自動車をカウンタックのようにぶっ飛ばして。

店は狭く小さい。店の主であろうほっかむりを被った70歳か80歳ぐらいのけっこうなおばあさんが若いアジア人女性2人を従えて、店を仕切っていた。たこ焼きを1パック注文すると、焼き上がるのに10分ほど要するとのことで、俺はレジの横に置かれたボロボロの丸椅子に座って待つことにした。

人気店であり、また日曜ということもあって、俺が待っている間も客が次々とやってくる。たこ焼きを求める客がスーパーの入り口に群がり、膨れ上がる。外気と鉄板と人間の熱気で地獄のように暑い。しまいにはおばあさんのキャパが限界を迎えたらしく、新しく来た客に「もう売れません」とまさかの販売拒否をしていた。当然、客は「なんで?」と聞いていた。「もういっぱいいっぱいやけん」とおばあさん。「待てばいいとやろ!?」と食い下がる客。

そうこうしているうちに、俺の注文分が出来上がったようだ。1パック8個入りで400円である。安い。イートインのコーナーはないので、車に戻り、すぐに運転席で食べた。美味しい。さすが1位だ。外側が最近主流のカリカリではなくて、ふんわりと柔らかく、中はトロトロだ。たまにソースの味ばかりがするたこ焼きがあるが、この店のはそんなことはなかった。

ふと店の方を見ると、さっきの客とおばあさんがまだ問答をしているようだった。この暑さでも、たこ焼きを求める執念はよほど強いと見える。罪深き食べ物である。俺も店に来るのがあと数十分遅かったら、彼らのような亡者になっていたかもしれない。
あまりの暑さにたこ焼きの蜃気楼が見えた。そんな気がした。
夏の魔物とはたこ焼きの謂なのだろう。




2016/08/22 01:05 |雑記COMMENT(0)TRACKBACK(0)